- 作者: ペギーオレンスタイン,日向やよい
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2012/10/26
- メディア: 単行本
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息子育児とジェンダー教育
息子が産まれた時から夫婦で同じように育児に関わってきて、年と共に彼が「男の子っぽく」なっていくのを、面白く眺めてきた。息子は最近、ウルトラセブンが大好きで…ではなく、自分のことをウルトラセブンだと信じている。そんな息子のお気に入りの遊びは「ダンとアンヌごっこ」。自分はモロボシダン役、そしてママ(私)にアンヌ隊員役をやらせて会話を楽しむ。例えば、
息子「みんな、洞窟に行くぞ!…ねえママ『洞窟は怖いわ』って言って。」
私「洞窟は怖いわ…」(←60年代の女らしい女性というコスプレ気分)
息子「大丈夫だ。他にもたくさん男がついているから!」
これは違うだろう、と思った私はアンヌ役のまま「隊長! 宇宙人を発見しました。ヒュー!ドカーン!(撃つマネ)宇宙人を倒しました」と言ってみた。すると息子はちょっと当惑した様子で「宇宙人を倒すのは男だけだよ…」。
はい、男女共同参画教育のお時間です。
「あのね、アンヌは女の人で、男の人に守って欲しい人もいるけれど、ママは自分で宇宙人を倒したい。女の人にも色々いるんだよ」。
男の子にどのようなジェンダー規範で臨むべきか、考える必要がない。何を伝えればいいか、自分でよく分かっているから。例えば「あなたが青が好きなら青を着ればいい。パパは赤が好きだから、赤を着るよ」などなど。
一瞬、立ち止まって考えることが多いのは、むしろ娘について考える時かもしれない。カタカタ車を押して歩いたり、「いないいない、ばあ」を楽しむ1歳児の遊びについて、特に迷うことはない。でも、色についてはちょっと違う。
「息子の服を着せておけばいいから安上がり」。最初はそう思っていた。0歳、1歳の赤ん坊は服の好みなど特にない。生後2〜3カ月の頃は、上の子のお下がりの水色のつなぎ服を着せたりしていた。それで特に、違和感はなかった。
友人知人に恵まれたおかげで、下の子は10カ所近くから女児服のお下がりをいただいた。新品同様のものも少なくない。ある時、息子のお下がりでなく、女の子服のお下がりを着せてみたら、いつもより、だいぶかわいく見えた。そこで息子のお下がりの中から、娘に着せてもいいと思う色を選びだした後、友人(あちらは上が女の子、下が男の子)と上の子服を交換した。
数週間前、娘のためにピンク色のシャツを数枚、買った時、一緒に、白地に紺ボーダーのシャツを買ったのは、私の中にあるPCな部分が抵抗を試みたのかもしれない。でも、祖父母が遊びにきてくれる日に娘に着せたのは、白紺ではなくピンク白の方のシャツだった。
「かわいい」市場はどのくらい儲かるか
前置きが長くなったけれど、この本「プリンセス願望には危険がいっぱい」は、私みたいに、ピンクすぎる世界に娘を置きたくないけれど、そこには抗いがたい魅力があると感じているような母親に読んでほしい。女の子らしさを押しつける社会の圧力には屈せず、男みたいに働いてきた自分が、いざ、女の子を育てる段になったら「かわいいかどうか」という基準全開で色んなものを選んでいることに、戸惑いを感じているような人に。
本の中には、かなりはっきりした敵としてディズニーが位置づけられている。ディズニーのプリンセス商品の売り上げは2009年に40億ドルに達しているという。マーケティングプランも顧客の絞り込みもなしでここまでの市場を開拓したのは驚異だ。立役者は前ナイキ役員のアンディ・ムーニーという人物(P18〜P19)。
全てはビジネスのためだ。企業は、それらがよく売れるからプリンセス商品を、バービー人形を、ピンクの玩具を、子ども向け化粧品を企画し製造する。多くの大人たちが「子どもが欲しがるから」買う、作ると話しているのが印象的だ。
思い出すのは玩具会社の決算発表。「これこれのテレビ番組を投入したので、この商品はよく売れました…」。当たり前のように、テレビ番組は商品の宣伝のためであると位置付ける話しぶりに、私はかなり傷ついていた。子どもの頃、欲しくてたまらなかった玩具たちは、こんな風に淡々と売られ数字として処理されていたのか…。すでに20代後半で、パンツスーツばかり着て、小娘となめられないように男社会の経済メディアにどっぷりつかっていたというのに。
こういう状況を「商業主義」といって否定したところで、現代を生きる親にとってはあまり役に立たない。山奥に引っ込んで暮らし、テレビもネットもない環境に子どもを置かない限り、商業主義と無縁で生きるのは難しいからだ。大事なのは、どうつきあっていくか。これを繰り返し問うているところが、私がこの本を面白いと思う理由だ。
例えば著者は子ども向けの美人コンテストの様子をリポートする(P101〜P132)。就学前の娘を着飾らせ、男性審査員にウインクすることを教える母親。熱心に歩き方から笑い方まで指導する母親。こうした行きすぎたステージママを批判的に描いたテレビ番組は、すでにいくつもあるそうで、著者の関心は「その先」へ向かう。とあるコンテスト優勝者の母親が、なぜここまでエネルギーを注ぐのか、原因の一端を家族の抱えたある課題に見つける。
第7章は、アメリカの芸能界が、10代のアイドルのセックスアピールをどのように搾取しているか記している。そういうものに触れ続けることでセルフエスティームを無駄に下げた女の子たちが、健全とはいえない恋愛関係に陥ることの危険を説いている。このあたり、私は親としてはまだずいぶん先のことに思えるけれど、小学校高学年以上の娘を持つ親が読むと、ピンとくるものがあるかもしれない。
登場する商品や事象は全てアメリカのものなので、日本人には馴染みが薄い記述も多いかもしれない。ただ、読み進めていくとこんなページに出会う。
ついでだから言うと、もしDVDプレイヤーを持って無人島に閉じ込められることになって、しかもたった一枚のディスクしか持って行けないとなったら、わたしなら宮崎駿の映画にする。(中略)彼の映画、たとえば『となりのトトロ』、『天空の城ラピュタ』、『風の谷のナウシカ』などに出てくるヒロインは、女性ならこうしなければならないという決まり文句から、すがすがしいほどに自由だ。超がつくほど女らしくもないし、味もそっけもないフェミニストでもない。(中略)わたしのお気に入りのひとつである『魔女の宅急便』では、13歳の魔女が習わしに従って家を離れ、もっと大きな世界で自分の目標を見つけなければならない。彼女の変容は最終的に、自分を知ることにかかっている。キュートな変身や愛のファーストキスのおかげではない(P268)
そうそう、その通り、と思う人はぜひ、本書を手に取って読んでみてほしい。