第577回・日本テレビ番組審議会

 委員を務めている日本テレビ番組審議会に出席しました。今回は報道番組への意見を述べました。テレビは誰もが気軽に見ることができ、分かりやすく伝える高い技術を持つ人たちが番組作りに関わっています。民主主義の健全な発展に必要な政治、社会、経済情報を伝える役割があるため、いくつかの感想、期待を述べました。

春休みホーチミン旅行(4)散歩

 宿泊、食事、買い物、タクシーなど、旅行しやすい街で、時折、社会主義らしさを感じたのが看板です。こういうデザインの看板がところどころにあります。

 

 

 ホテル近くにあり、何度か通ったのが、タオダン公園。緑が豊かで花がたくさん咲いており、朝は太極拳やヨガをする人、昼間は遊具で遊ぶ子どもがいて賑わっていました。青いトカゲも見つけて異国情緒を感じたことも。

 

 路地裏のおしゃれなカフェ。とても落ち着くお店でした。

春休みホーチミン旅行(3)食べ物


 旅行中は毎日フォーを食べていました。特に美味しくて何度も行ったのがこちらのGUTAカフェ。青と黄色のインテリアが特徴で、通常はカフェ、朝から昼過ぎくらいまでフォーやごはんメニューがあります。ベトナム国内に100店舗以上あるフランチャイズチェーンのようでした。

 牛肉のフォーを頼むと、アジアンバジルなど緑の葉っぱがお皿にどっさり出てくるので自分で好きにちぎって入れます。飲み物とセットで400円弱。飲み物はライムシャーベット風のもの、ベトナムコーヒーなどから選べます。小皿にものすごく辛いものに浸かったにんにくと青唐辛子が添えられるので、これは食べないで少しずつ入れます。

 お昼時は近くのオフィスで働いている人で混雑していました。

 

 

 こちらバインミーのお店。子どもがガイドブックで調べて一緒に行きました。自家製のパテなどをはさんだパンと、別の袋に入れた緑の野菜たち(きゅうり、くさくないねぎみたいなものなど)を好きに加えます。とても美味しい。

 

 

 これは目についた店で適当に頼んだチキンライス。チキンは揚げてあり、にんにくがかなりきいています。ご飯は卵チャーハンみたいな感じ。他の店でもよく見かけたメニューです。

 何を食べても美味しく、はずれがない印象でした。両替した時のレートによりますが、500円あれば美味しくしっかり食べられます。

 Independent Palaceの向かいには、外国人向けのベトナム屋台村があり、ここは生春巻きをセロファンで包んであります。普通の街のお店が不安な場合は、こういうところに行くといいと思います。

 

 

 

春休みホーチミン旅行(2)統一関連

 1975年春のサイゴン陥落を象徴する建物Independence Palace。入り口付近の戦車が建物の方を向いています。フランス植民地時代から使われていた建物が壊れたので、中国西洋折衷の新しい建物にして今に至るようです。内部は様々な会談で使われた、という解説があり、地下は作戦室になっていました。

 

 

 ホーチミン博物館。建国の父をたたえる写真と解説がたくさんあります。若い頃、コックとして外国船に乗り込んで国を離れて30年間世界を回ったこと、レーニンの著作を読みひとり涙したことなどが書かれていました。

 英訳された名言集が壁の随所にあり、フランス植民地下の祖国のため、どうしたらいいか考え、どこかよその国に助けてもらうのではなく、自分たちで自分たちの国を作るという民族自決を訴えるフレーズなど、たいへん分かりやすかったです。

 私たちが訪れた時は小学生の団体見学があり、おそろいのTシャツを着た子どもたちが説明を聞いていました。「ハロー」と話しかけてくれたので「ハロー」とお返事しました。

春休みホーチミン旅行(1)戦争関係

 「ベスト・アンド・ブライテスト」を読んだら、どうしてもベトナムに行きたくなって家族でホーチミン旅行。夜中に羽田を出発してホーチミンに朝5時台に到着。帰りも夜便で現地発、東京に朝戻ってきたので、しっかり観光時間を取れました。

 4月のホーチミン、気温を調べると6~7月の東京と同じくらいで暑いです。冷房をきかせている場所が少ないので半袖で充分でした。

 

 まずは、戦争証跡博物館へ。フランスからの独立、アメリカとの戦争に関する経緯が分かります。

 2つ印象的な展示室がありました。

 ひとつめは、報道写真を集めた部屋で、虐殺されたベトナムの村人、逃げる人々、ベトナムアメリカ両側の傷ついた兵士たちの写真やエピソードは、数十年経っても戦場の残酷さを伝えていました。展示をスポンサーしているカメラメーカーの社会的責任――戦争の愚行を伝え平和や未来を志向させる――も感じ取りました。

 もうひとつ強い印象を受けたのは、枯葉剤被害に関する展示室で、四肢がない状態で生まれたり、肌が変形したり、自立した生活ができない状態になったりした人たちの写真が多数ありました。ゲリラが潜むジャングルを丸裸にするため、アメリカが撒いた枯葉剤のもたらした恐ろしい被害です。

 この展示室冒頭にはアメリカ独立宣言の有名なフレーズ「All men are created equal(全ての人間は平等に作られた)」が書かれたパネルがあります。同じ人間に対して、なぜこのような酷いことができるのか、同じ人間だと思ったら、このようなことができるわけはない、という痛烈な皮肉をこめた批判と解釈しました。

 枯葉剤の被害者はベトナム人だけでなく、アメリカ人、韓国人にも広がっていることを初めて知りました。

 アメリカでこの問題はタブー視されているそうで、2016年5月に訪越したオバマ米大統領枯葉剤に言及したことが、歴史的な出来事として報じられていました。以下の日経新聞記事によれば、それでも謝罪をしていないようです。

www.nikkei.com

 

 博物館の入り口、1Fですぐ目につくのは、世界各国の反戦運動ベトナム支援運動の写真やポスターです。日本の「ベトナムに平和を!連合会(べ平連)」の大きなのろしも目立っていました。

 翌日は、ベトナム戦争中、北の兵士が使ったクチトンネルを見学しました。Tripadvisorで紹介があったツアーで、13時にホテルに迎えがきて19時過ぎにホテルに戻る半日の企画です。私たち家族の他に、カップル2組と若い男性4人組がいました。マイクロバスで1時間半かけてホーチミン郊外へ行き、その後、整備されたエリアで現地ガイドの話を聞きながらトンネルや兵士の作った罠を見学しました。

 ガイドさんが開口一番「私たちにとっては、ベトナム戦争ではなくアメリカの戦争」と話していました。下の地図の赤い部分に地下トンネルがあり、近くにある米軍の拠点を狙ったそうです。

 上の写真はトンネルの模型です。川に通じる出口もあり、水中で使えるソ連製の銃を使ったとか、三角に掘られたトンネル内の小部屋で女性兵士が出産したといった話を聞きました。
 ゲリラ戦は相手を倒すことより、怯えさせて戦意を低下させることを意図したとか、敵を殺すよりけがをさせることで、救助を含め複数人員を戦闘不能な状態にすることができるといった話や、子ども兵士が隠れた岩に擬態した隠れ家を見たり、想像を絶する戦いぶりに言葉を失いました。

 この展示だけを見ると、北軍、ゲリラの持つ道具は銃を除けば中世風のものが多く、超近代的な装備を持つアメリカと、よく戦ったものだ…と思います。

 色んな質問に答えてくれるガイドさんに「過酷な環境で、兵士が戦う動機は何だったのか」と尋ねてみたところ、祖国を守り統一したかった、というベトナム側の事情に加えて若いメリカ兵は異国の地で戦う意味が見いだせなかったのでは、という答えでした。また「ベトナム戦争が終わったのは、ベトナム兵士の奮闘はもちろん、世界の人が応援したから。例えばアメリカにも戦争に反対するヒッピーみたいな人たちがいた」とも話していました。

 帰り道、娘に感想を尋ねたら「平和について考えられるのは、今が平和だからだなと思った」と話してくれました。

毎日新聞「開かれた新聞委員会」

 委員を務めている毎日新聞の「開かれた新聞委員会」に出席しました。座談会の内容がこの日の新聞で紙面になっており、能登地震や裏金問題について議論しています。

 

mainichi.jp

 

mainichi.jp