フィリピン出身きょうだいの進路指導を巡る問題を描く研究書

 ある関西の中学校に通うフィリピン出身のきょうだいが、特別支援学校に進学する過程を、彼らを支える母親、中学校の教員たち、通訳を担った人物などの語りで浮き彫りにしています。

 書籍タイトルへの答えは、終章近くで明確になります。包括的移民政策を持たず、それゆえ外国人・外国ルーツを持つ子どもの支援が全く足りない構造が、教育現場で苦肉の策として特別支援学校への進学を方向づけることにつながっていく、というわけです。
 辛いのは先生たちが、子どもをほったらかしにしたり、意地悪をしたりして、進学先を方向づけているわけではないこと。言葉がうまく伝わらない中でも、周囲の子ども達が様々な手助けをするし、課外活動を一緒にやり、彼らの良いところを伸ばそうとする先生もいます。
 本書を途中まで読んだ時、はっとしました。多数派のありようを変えようとせず、少数者だけに代わることを求めるのは、教育に限らない、と。日本の組織で女性活躍が遅々として進まないのも、多数派を占める「男性的働き方」を変えずにきたからです。ごく少数の男性的に働ける女性(昔の私もその一人)だけを仲間に入れても、管理職女性3割なんて達成できるわけがない。
 さらに大きな問題は、日本女性に対する支援は様々な法律で規定されているけれど、外国人児童やその保護者にあたる外国人労働者への支援は、おそろしいほど何にもないということです。
 著者の京大大学院での修論を書籍化しています。「はじめに」の一段落目を読んで泣きそうになりました。

朝日新聞デジタルの取材にお応えしました

 こちらの記事にコメントしました。伊藤忠商事が社員の出生率を公表し「女性活躍」の指標とすることに様々な意見が出ているという報道です。

 

www.asahi.com

 
 記事中のコメントに2つ補足します。

(1)「女性活躍」の指標なのか?
 出産後、女性が退職せず就労継続できるのは望ましいですが、それは「マミートラックありますよ」指標かもしれません。手厚い育児支援で同社の女性従業員が例えば残業ゼロで就労継続して家事育児を一手に引き受け、他社勤務の夫がそれにフリーライドする格好で昇進する、という構図かもしれません。
 「女性活躍」の指標はあくまでも、管理職女性比率や従業員全体の男女賃金格差で見るべきでしょう。
 
(2)この種、数値を「測ること」と「公表すること」は違う
 経営陣が自社の人材マネジメントの成否を見る上で参考になるから、測るのはいいと思います。一方、それを公表すると「産め」「早く帰って子づくりせよ」と言われている「かのように」受け止められる。
 ポイントは、会社側にその意図があるかどうかを問わず、雇用主は権力を持っており、その発信する情報は規範形成力がある、ということです。
 今後、同種の数値をKPIにと考える企業の参考になればと思います。

100年前、参政権を持たない女性たちのアドボカシー:読書「廃娼ひとすじ」

 

 古書か図書館で入手するのが少し手間ですが、身体の底から元気になるでしょう。
 著者はキリスト教婦人団体で公娼制度廃止に尽力した女性。牧師の家庭に生まれ、親元を離れ女子学院で学びました。子育て、夫の仕事サポートをしつつ、当初は10時~16時に限定し社会運動に身を投じるところは現代のワーキングマザーも身近に感じられる。
 当時、女性がお見合い相手に「一夫一婦制をどう思うか」と問うても「約束はできない」と言われたそうです。つまり男性の婚外性交を社会も法も是認していました。もちろん、女性は参政権すらありません。
 ないものだらけの中、日本国内のみならず、時には海外からも資金集めをして、政治家や新聞社に働きかけ、地方をまわって講演し人々を啓蒙します。自由廃業した元公娼の教育、就労支援は各地の同志女性たちが担い、やがて政府からも相談をもちかけるようになります。
 貞操、純潔といった、現代人には理解しにくい価値観も提示されますが、今の言葉で言えば、女性の基本的人権を守る運動であったことは明らかです。
 読み進めるうちに、現代日本で是とされているいくつもの慣習が100年後には「ひどいことが黙認されていた」と振り返ることになるのだろう、と思うはずです。
 著者を含め、この運動にかかわった人たちは当時のセレブでした。英語教育を受け、海外視察の機会に恵まれ、子どもを預ける親族もいました。アメリカではルーズヴェルト、中国では周恩来と近しく話をしています。
 自らの持つ特権をフルに活用し、貧しさゆえ、もしくはだまされて売春させられていた女性たちを救うため奔走します。当時の政治家も新聞記者も男性ばかりですが、彼らを味方につけていくアドボカシー能力の高さに目をみはる。関東大震災東京大空襲で拠点が灰になる経験をしても、何度でも立ち上がる。
 今から100年少し前、1920年頃、筆者はこのように考えました。
法治国家において参政権は、唯一の弾丸であり、武器である。素手で私たちがいかに頑張っても、今の時代には通用しない。参政権公民権、法律作成の権利を、国民の一人としてもたぬかぎりは、今後のたたかいは進められない」(P153)
 本書に記された、女性参政権の獲得に向けた取り組みも読みごたえがありますし、今、参政権を持つ私たちがそれを生かしてきれていないことも感じます。
 第二次世界大戦後にGHQの指示で日本女性に参政権が与えられた…と思っている人は少なくないでしょう。幣原内閣の内務大臣・堀切善次郎氏は次のように話しています。
「婦選はマッカーサーの贈り物というのは誤りである。もちろん、国会や枢密院を通すのにマ司令部からの覚書が力となったことは争われない。しかし婦選がぜんぶ外部から与えられたというのは、事実ではない」(P190)
 資金集め、政策提言、有力男性を味方につける戦略、国際潮流を学び必要なものを取り入れつつ、日本に関する誤解は正す毅然とした態度――参政権がない時代に、ここまでやった女性たちがいたことを知ると、今、自分が感じている多少の逆風はどうでもいいと思えるかもしれません。

国立近代美術館「鏑木清方展」

 ポスターやチケットに載っている美人画だけでなく、小さな絵、さらっと単色で描いた絵など展示数が多く見応えがあります。

 

 出品目録はこちら

 出品目録2番目の「雛市」、興味深かった。20代の頃の作品で、文字通りお雛様を売っている市を描いた絵です。

 お雛様を見ている(欲しがっている?)女の子と母親の斜め後ろ姿が描かれていて、その手前に桃らしき花の咲いた木の束をかついだ裸足の女の子の後ろ姿があります。手前の女の子は今でいう児童労働者でお雛様を買ってもらうことはなさそう。日常の一瞬に階級差と美しいものを見る喜びが描かれる。
 それから、目録68の「讃春」。東京の春を楽しむ女性たちを描いた屏風みたいな2枚。右側は雙葉のセーラー服を着た女学生2人が水辺でのんびり。左側には船上生活の母子、船の上には桜の枝と花の鉢。
 ここにも階級差がはっきり見えて、両方とも春を楽しんでいる。
 これらの絵から「いかなる社会経済状況にあっても、美しいものを愛でる人の普遍的な心理
を見るのか「同じ季節、同じものを見ても置かれた立場が異なる」と見るのか、まったく違う視点もあるだろうから、つっこんだ解説を読みたいと思いました。

東京新聞の取材(生理の貧困について)にこたえました

 厚生労働省の調査によれば、生理用品の入手に苦労したことがある女性が8.1%いるそうです。10代は12.9%、20代は12.7%、30代は8.6%、40代は4.1%と若い世代ほど困った経験を持つ人が多くなっています。

 若年女性の貧困問題への対策が不十分ではないか、というお話をしています。

www.tokyo-np.co.jp

 

 

NHKラジオで「ウクライナ侵攻を子どもにどう伝えるか」お話しました

 NHKラジオで「ウクライナ侵攻を子どもにどう伝えるか」お話しました。こちらで、まとめて記事で読めます。期間限定で音声も聞けます。

 

www.nhk.or.jp

府中市美術館「ふつうの系譜」

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 府中市美術館。基礎自治体の美術館らしく専門知識をもたない人(私もそのひとり)にも分かる解説がいつも丁寧です。

 百人一首にも登場する女性歌人を描いた絵、時代が異なるものを比較して解説したり、中国のおめでたいものを描いた作品で、おめでたいとされる理由が面白かったり。「ふつうの系譜」というテーマもいいなと思いました。