活動家と研究者の間には溝があるようだ。


昨夜、大学内でアファーマティブアクションに関するシンポジウムが開かれた。私はフルブライトのホリデー・パーティーに行くため欠席したが、今朝のCEWスタッフミーティングで報告を聞いた。


シンポジウムを主催したのはアフリカ学センター。研究者3人がパネルディスカッションをした。CEWでアファーマティブアクションに関する調査をしているスーと、学内の有色人種女性に関する調査に携わるパトリシア、エイミー、ジェシカがシンポジウムを聞きに行ったが「パネリストに危機感がないのが問題だ」と怒っていた。


演壇の教授たちはアファーマティブアクションの必要性や、歴史的流れなど出席者が既に知っていることばかり話していたらしい。質疑応答でジェシカは「『リーダーシップが必要』というなら、なぜあなたたち教授がリーダーシップを取らないのか」と詰め寄ったという。彼女はまだ22歳だが、アフリカ系女性の権利擁護のため日ごろから活発に動いている。MCRIが承認され、アファーマティブアクションが危機にさらされることは、アフリカ系の学生にとっては自分の存在価値を否定されたのと同じに映るようだ。彼らにとって、これは単なる入試制度の問題として片付けることはできないらしく、公民権運動以後の差別解消の歴史に逆行する動きに見えているのだ。


学部を卒業したばかりのジェシカが教授に言ったことは正論だ。アフリカ系を始めとする人種マイノリティや同性愛などマイノリティーを研究対象にする人は数多い。ただ、こうした分野を研究する人が本気で問題に関心を寄せているとは限らない。講演などを聞いていると「この人、本気じゃないな」とか「論文のためのネタだな」と感じることも少なくない。うそくさい研究者に会って失望したり腹を立てる気持ちはよく分かる。今は彼女たちにとって大変な時期だと思うけれど、若い世代が権力を持っている大人に言うべきことを言うのは健全さの証だと感じた。


写真は本文とは無関係ですが、オフィスの隣にある公園。クリスマス前は木々がライトアップされていてなかなか綺麗。