ケアワークの価値を認め、男性も女性と同じように分かち合うことが大事


そして、「ワーク・ライフ・バランスについて議論するのではなく、ケア提供者への差別を議論する必要がある」(90ページ)、「ケアが評価されていない問題がいちばん大きい。半世紀に及ぶ女性解放運動でも、ケアを置いてきぼりにした」(79ページ)との指摘は、日本の女性活躍を本当の意味で進めるなら、とても重要だと思います。


家庭で子どもの世話をすることを、外で働いてお金を稼いでくることより価値が低い、とみなしたままでは、社会は本当の意味で変わりません。一部の高学歴女性を男性化して外に出し、代わりに移民や非高学歴女性に低賃金でケアを担ってもらう「解決策」は、どこかで行き詰まるでしょう。


本質的かつ長期的な解決策は、単に母親が仕事を減らしたり辞めたりするだけでなく、男性も女性も、一時期、子どもや家族を優先することが当たり前になり、それが長期的なキャリア形成を妨げない文化をつくること、でしょう。本書の表現を借りるなら「マミー・トラックやダディー・トラックはリーダーシップ・トラックと反対にあるが、なぜなのか?」ということであり「子育てのために仕事をスローダウンしても、完全に降りる必要はない」(34ページ)。


本書から日本社会が学べることは、女性を外に出すだけの活躍政策は早晩行き詰まる、ということです。女性が家の中で担ってきた「ケア」の価値を再確認すること。そして、次世代への投資という、価値ある仕事である「ケア」を、男性も女性と一緒に分かち合うことが、真の女性活躍ということです。実は、女性活躍推進法の第2条には、そういった趣旨のことが書かれています


本当にケアを価値あるものとみなすなら、それを男性が担うことも、当たり前になるはずです。母親業を聖なるものとして持ち上げながら、無償労働のまま留めておくことに疑問を感じない発想が歪んでいることは、間違いありません。それと同時に、24時間保育所や移民家事労働者によって女性が家庭の「雑事」から解放されれば、社会で活躍できるという主張もまた、この問題の表面をなぞっただけ、と言えるでしょう。