先週末はミシガン州内に住むカップルにインタビューをした。


30代の夫婦で子供が2人。妻が広告セールスで一家を支え、夫は専業主夫。「僕は大学を出ていないから収入が多くない。外で働いても子供の保育園代の半分にしかならないから、家にいることにしたんだ」と話してくれた。


妻の給与は完全出来高制で月収は4000ドル(48万円)から12000ドル(144万円)。この仕事を始めて約5年、最初のうちは「毎年、年収が倍増していった」という。「私みたいに大卒でない人は自営業をするかセールスでないと稼げない」とみる。夫は妻の収入が多いことをありがたいと思ってはいるようだが、自慢するでもなく妬むでもなく淡々とした様子で「僕が外で働いて得られるであろう額の3倍を彼女が稼いでくる」と言っていた。


彼らの意識はどちらかというと保守的だ。「アメリカ人の一番の問題は離婚が多すぎること。ウーマンリブのせいだと思う。私はキリスト教徒だから離婚には反対」と妻は言い、夫も「(収入のない)主婦ですら離婚するようになったのはウーマンリブが広まったせいだ」と考える。通常の性別役割分担と逆の状況になっているのに、意識は進歩的でないのが面白い。


感心したのは10代の娘さんがしっかりしていたこと。「この人は日本から来たのよ」と母親が私を紹介すると「日本に行ってみたいと思っています。オランダとジャマイカには行ったことがある。お父さんやお母さんと一緒じゃなくて友達と行きました」と挨拶した。


聞けば女子サッカーの選手として全米代表に選ばれて外国に試合に行ったのだという。「将来はサッカーで奨学金をもらいたい」と話すのを聞いていると、こちらまで嬉しくなってきた。「この子は男の子ともサッカーをして、勝ったの」と誇らしげに言う母親が、それでもフェミ嫌いなのは面白い。"政治的な正さ"なんて考えもせず、親子とも自分に合ったことをしている一家は、とかくあれこれ考えすぎる私の目には、かえって清々しく映った。


写真は樹氷。暖冬のため雪でなく雨の日が続いていたのが、このところ気温が下がったため水分が凍って木々は見渡す限りこんなふうになっています。