女性の進出はあらゆる分野に及ぶ。


時にフェミニストが好まない分野、例えば戦場にも。「女性は性格的に戦いに向いていない」という主張を聞くことがよくある。リベラルは戦争反対だから「女性は平和主義的だから、女性がリーダーシップを取れば争いはなくなる」と言い、保守派は「女は弱くて守ってやらなくてはいけないから、戦うのは無理だ」と主張する。


本書を読むと、どちらの言い分も甘いし古いとわかる。


イラク戦争開始から現在までに戦死した女性兵士の数は、朝鮮、ベトナム湾岸戦争アフガニスタン進攻の戦死者数より多い。著者はイラク戦争に赴いた12人の女性を取材し、その素顔を伝えている。負傷した兵士の治療にあたる人、戦車の上から頭を出して周囲をうかがい、必要とあらば発砲する役割の人、輸送トラックを運転する人。あらゆる分野で女性が働いている。


死と隣り合わせは承知の上だ。戦闘機乗りの女性中佐は、飛行中にイラク軍に撃ち落とされたら自分はレイプされて殺され、同僚の男性パイロットは首を切り落とされるか殴り殺されると知っている。まさに性的暴行を受けることが理由で、つい最近まで女性は戦闘機のパイロットになれなかったのだ。しかし彼女はそれを馬鹿げていると言う。女の方がより苦痛を味わうかもしれないからといって、パイロットになれないのはおかしい、と。


もちろん、アメリカ女性が皆、戦いたいわけではない。予備役だったある女性は招集されたのが嫌で40代にしてわざと妊娠した。男性の中にも従軍を嫌って恋人に銃で足を撃ち抜いてくれと頼んだ人もいる。


イラクに赴いた女性の中には子供を持つ人も少なくない。勤務中に仕掛けられた爆弾で大けがを負った20代の女性は、3人の子持ちだった。家を出たとき一番下の子供はまだ小さかったので、再会した時、母親のことを誰だか分からなかったという。女性は母親になるから戦うべきでない、という主張もよく聞くが、何人もの女性兵士たちが「母親であることも父親であることも戦場では変わりがない」と言い切っている。


私がアメリカにいた頃、出席したジェンダー関連の会議で、好戦的に見える女性の話題は避けられていた。フェミニスト達はリベラルで戦争反対だから、タカ派のライス国務長官を支持する人は誰もいなかった。イラク人捕虜を虐待した女性兵士リンディ・イングランドは「軍隊の男性的な雰囲気に過剰適応したのだ」と主張する人もいた。何かヘンだと思ったものである。戦争は悪いことで、悪いことは全て男性的? そんなことはないだろう。


こう考えていた私にとって、ジェンダー「論」より一歩先を行く、現実の女性を描いたこの本は、とても面白いものだった。一方で本書は学術的な面からもジャーナリスティックな面からも問題を含んでいることは確かだ。軍隊を取材するためか、イラク戦争のマイナス面は全く描いていない。登場する女性兵士の多くは経済的に恵まれない階層の出身である。真面目に働きたい高卒者に、もしも軍隊以外にまともな働き口がないのなら問題である。


学者か記者が取材したなら必ず言及したであろう、こうした点に著者は触れようとしない。しかし、友好的な態度で取材・執筆をしたからこそ、軍の全面協力を得られたのであろうし、リベラルな学者や記者にありがちな戦争批判とは違う視点を獲得できたのだろうという気もする。