もうすぐ4カ月の娘をベビーカーに乗せて家の周囲を散歩した。


飲食店の脇を通ると出汁の匂い。左からきた車をやり過ごすため、一瞬、香りの中に立ち止まる。


鯖や鰹など魚ではなく鶏の出汁と思われる匂いに、母方の祖母が作ってくれた手打ち蕎麦のことを思い出した。つなぎを入れない蕎麦は、切れやすいがぽくぽくとした歯応えと良い香りが特徴で、骨付き鶏肉で出汁を取ったつゆによく合う。つゆには細く切った柔らかく甘い人参。


重い包丁を巧みに動かして細く細く刻んだ牛蒡は甘い金平になり、近くの山で採れた蕗の薹はご飯が進むしょっぱい煮物になる。大根と人参のなますにはピーナツが入っていて、口当たり良く甘い味つけ。


山盛りの天ぷらは野菜と野草と山菜。小学校の校長を定年退職した後、富士山麓の野草を研究していた祖父が「この草はな、○○で取ってきたずら」と説明してくれる。私や弟が「珍しいねー」と言いながら食べると「うまいだろうー」と相好を崩す。


食卓には骨付き鶏肉の唐揚げや、祖母手製のお寿司も並ぶ。「たくさん食べな」と言いつつ、千切りにしたキャベツにマヨネーズをかけると、祖母はまた何か作りに台所へ戻っていく。私たちが食べている間、祖母が座ることはほとんどなかった。


祖母の生家は大きな農家で、家の手伝いが忙しくてあまり学校に行けなかったという。「友だちの家の前を通ると、教科書を読んでいる声が聞こえて、すごくうらやましかった」。自身、働き者であることを誇りに思っていた。戦中は軍需工場で働き、その貢献を認められて表彰された。「『欲しがりません、勝つまでは』って言ってたねえ」。20歳そこそこで嫁ぎ、まだ小さかった小姑たちの「育児」を一手に引き受けた。亡くなる数年前まで常に人のために動いていた。


祖母に曾孫の顔を見せたかったと、食べ物で記憶が喚起されるたびに思う。おばあちゃん、私はアメリカで勉強してきたんだよ。おばあちゃん、今どきの嫁は、亭主に「オムツ換えて」って平気で言えるんだよ。もう女の人は、家の中でひとりで頑張らなくてもいいんだよ。