最近、こちらの生活に馴染んだなと思うことが増えた。

もともと連れ合いがいるので、この街には年に2〜3回、この6年で13〜14回も来ていて、キャンパスの雰囲気や気候、店も知っていて「慣れて」はいた。必需品はすでに揃っていたしクルマもあったので、かなり甘えた環境で新生活をスタートできた。英語に疲れて家に帰ってくれば、日本語で話せる気心が知れた相手もいる。

「馴染んだ」感覚は、生活に慣れたというのとは少し違い「社会的に居場所がある感じ」と言えるかもしれない。東京にいる頃は職場の居心地が良かったので、1人暮らしでも全く孤独感がなかったし、締め切り前で切羽詰っている時以外は、編集部は高校時代の部室と同じようなリラックスできる場だった。最近、これとよく似た感覚を覚える。

今日は1日中オフィスにいた。昼過ぎに家庭教師のジリアが、前に自分の研究のために提出したIRBの書類コピーを持ってきてくれた(写真左)。私が特に記入に難儀しそうな部分にはペンで印をつけた上、説明書きまでつけてくれて分かりやすい。しかも彼女はこの間、私があまりに面倒そうにしていたので、審査を受けずにすむ方法をわざわざ調べてくれていたのだった。諸事情あって彼女の調べてくれた方法は私には適用できなかったのだけれど、親切は本当に身に沁みた。

午後はベスと話をして、記入方法が分からない質問事項について教えてもらい、今後の手順を確認する。その後、エイミーという、やはりCEWに所属している研究員が、自分が博士論文の調査のために使った審査書類をくれた(写真中)。何人かの意見を聞いていると、分かりにくい部分の処理の方法も見えてきて、来週の水曜くらいには必要書類を全て揃えることができそうだ。

一息ついていたら図書館司書のジーンが本を一山(写真右)抱えてきた。「この間の会議であなたが話していた研究テーマに参考になりそうな資料を持ってきたわよ」と言うので、ありがたく貸してもらう。育児に関する政策リポートまで印刷してきてくれた。

資料をもらうとリサーチがスムーズに進むという実利もあるけれど、それ以上に彼女たちの心遣いが嬉しい。自分の居場所があるという感覚は、デスクやオフィスがあるという物理的なことより、気にかけてくれる人がいるということだと思う。言語環境が違ってもこういうところは変わらない。昨日からとても寒くなっていて、朝は気温が0度近くまで下がるのだけれど、使い古された表現ながらとても心温まる1日だった。