今日のクラスで見たドキュメンタリー映画。


メキシコ南東部のチアパス州で1994年に起きたゲリラ・ザパティスタ民族解放軍(EZLN)の武装蜂起を取材した。チアパスはメキシコの中でも特に貧しい地域。先住民族が多く住み、彼らは公用語であるスペイン語を話せない。ザパティスタは先住民族への土地返還や北米自由貿易協定NAFTA)への反対を訴えた。


政府軍とにらみ合いが続く中、ゲリラが取った戦略が興味深い。本拠地に欧米諸国や海外メディアを集めてイベントを開いたのだ。


500年前に起きたスペイン人によるインディオの虐殺、生き残った先住民族の人々はせまくやせた土地を耕し、満足な教育を受けないまま貧しい暮らしを強いられてきた---。ゲリラの蜂起はこうした状況にノーを唱える正義の声として、欧米人や海外メディアに受けた。一時は3000人もの外国人が現地に集まったという。特にリーダーのマルコス副司令官は人気があり、フランスのファッション誌「マリ・クレール」まで取材にやってきた。海外メディアの注意を惹くことで、政府軍が手出しをしにくい状況を作ったのだ。


もちろん、話はそう簡単ではない。"クールな革命"を演出し、勝利を感じていたのは一部の地域で、州北部ではゲリラの協力者と見なされた先住民が村を追われていた。NGO関係者の家族が誘拐されたり脅迫されるのも日常茶飯事。武力で取り返した土地は先住民に再分配されたものの、再開発のリソースがないため、掘っ立て小屋が点在するに留まる。


ラストシーンでは、首都メキシコシティーの様子が映し出される。NAFTA加盟で一等国の仲間入りだと喜ぶ大統領らが登場。続いてごく最近、ゲリラ支援者の容疑で殺された45人の先住民についての報告がテロップで流れる。殺された人々の大半は女性や子供であり、そもそも彼らはゲリラ支援者ではなかった。


このクラスを教えるロビンソン教授によると、チアパス州のメキシコにおける位置づけは、アメリカにおけるミシシッピ州と類似しているという。人種差別制度は撤廃されても、差別的な慣習は根強く残る貧しい米国南部。同じようにメキシコでもいまだに、先住民族たちは差別されている。


メキシコの人口は2006年時点で1億778万人、そのうち25%が先住民族だ。数週間前のクラスで「メキシコ政府は人口の4分の1を抑圧している現状を、持続可能だと思っているのか。安定した暮らしを営む中間層がいれば経済発展につながるし犯罪も減る。これは皆の利益になるはずだ」と聞いてみた。ロビンソン教授曰く「メキシコの支配層は、そもそも先住民を自分たちと同じ人間だと思っていない。反乱が起きても政府軍が制圧できるからいいと考えているのだ」。


クラスの初回で読んだ資料によると、スペイン人が南米にやってきた折には「インディアン(南米の先住民)は生まれながらの奴隷である」という言説が共有されていたそうだ。同じフレーズは上記のドキュメンタリー映画にも出てくる。だからこそ、何百万人ものインディオを殺すことができたのだろう。


こういう考えは現在の日本から来た私の想像を超えている。日本社会にも差別はあるが、ここまでのひどい状況を許容しないと思う。少なくとも私が直接知る人は、同じ国の中に毎日の食事に事欠く人がいることをよしとしない。