先週、夏休みを取ってお寺コテージに泊まった。これが、素晴らしかった。


総木造りのコテージを、ホスピタリティーばつぐんのおばさんが、毎日、綺麗に掃除してくれる。洗面台の花が毎日変わっていたり、ソファにかけられた布やベッドサイドの小さいテーブルに敷いたパッチワークの布がさりげなくかわいい。やはりふつうの宿泊ビジネスと違って、お寺の人ならではと思われる配慮が至るところに見られる。食事の時は地元のおいしい野菜がたくさん。ちゃんと熟れたトマトがいかに甘いか、食べてみたらよく分かった。


山のお寺の敷地にたつコテージで、眼に入るのは木々の緑と空だけ。夜は、東京では見えないような細かい砂みたいな星が見える。月もとっても明るい。BGMは虫の声で昼間はセミ、夕方はひぐらし、夜は鈴虫。人の声は朝夕聞こえる読経だけで、クルマの音もない。部屋の窓からもテラスからも山と空がよく見える。


子どもは伸び伸び過ごしていて「しゃぼんだましたい」と言えば、外に連れていき、遊ぶのを眺めるか、ちょっとくらいなら1人でおいていても気にならない。いつもなら、散歩に行くにも一苦労。エレベーターに乗って外に出て、自転車にぶつからないようこわごわ歩く。ここは見渡すかぎり誰もいないから、何も気にせず遊ばせることができる。広い空間では、しゃぼんだまも、ぶつかることなく、どこまでもどこまでも飛んでいく。


目の前には芝生とお寺の信者が寄付した木々が植わっていた。そこで、紙飛行機を飛ばしたり、風船で遊んだり。東京にこれだけの土地があったら、庭でなく家を建てちゃうだろうな、いや、マンション建つなあこれだけあれば。そんな感じの空間が一歩、家を出るとある。


親がゆったりのんびり、リラックスして過ごしたため、子どもも大満足で、最終日の夜は「ここは、●●(地名)、楽しい!」と言って私たちを驚かせた。


仕事さえ何とかなれば、子どもが小さいうちは、こういう自然いっぱいのところで暮らしたいと心から思った。10年、20年後に電話会議が当然になって、仕事上のコミュニケーションがもっと変わって在宅勤務が当たり前になったら、そんな希望もかなうんだろうか。地方経済の厳しさについてよく聞くけれど、都会の共働き子育て夫婦から見ると田舎はいいところがたくさんある。両者のニーズを上手くマッチングできるといいのだけれど。