3歳の息子と一緒に「白雪姫」や「シンデレラ」を見ています。継母たちの恐ろしい行動の源泉は嫉妬だなあ、と思い、現実社会の嫉妬についても考えました。


多くの自己啓発本には、こういう趣旨の記述があります。「あなたは、あなた、他人は他人。他人を嫉妬するのは人生の無駄。嫉妬心をなくせば心穏やかに幸せに暮らせます」。これ自体、なかなか難しい上に「嫉妬された時の対処」を目にする機会が少ないため、まとめてみました。


嫉妬する側とされる側には、大きな認識ギャップがあります。する側は、嫉妬の対象をたえず、見つめています。物理的に見つめるだけでなく、心の目で見つめて嫉妬心を増幅させます。虫眼鏡で太陽の光を集めて紙を焦がすように、強い嫉妬は対象を傷つけます。


一方の嫉妬される側は無自覚なことも多く「なぜ焦げてるのか分からない」。白雪姫のように命の危険はなくても、非常に不愉快な思いをしたり、嫉妬パワーに振り回されてエネルギーを消耗しながら、原因に気づかないのです。そして「自分はなぜこの人を怒らせてしまったのだろう」などと、考えたり悩んだりしています。要するに無邪気なので、自分が嫉妬の対象になっているとは、夢にも考えません。他人から嫉妬されるような価値あるものを、自分が持っているとは、思わないのです。


嫉妬の対象は非常に広いです。学歴や美貌など、誰の目にも明らかなもの。相対的に見た職業上の成功。語学ができること。愛嬌のある性格で人を惹きつけられること。上司や取引先に気に入られていること。モテること。家族がいること。お金があること。家柄がいいこと。ファッションセンスが良いこと。能力はあまりないのによく褒められること。そして何より、嫉妬する人よりも幸せそうに見えること。


恵まれた環境なのに嫉妬の塊という人もいます。嫉妬する側とされる側は、数字で測れる客観的事実では決まらないので、やっかいです。「欲しいのに、手に入らなかったものを持っている人」は嫉妬の対象になりやすいと思います。


私自身は物をナナメから見る癖がある上、嫌いな人とは付き合わなければいいと思っていますが、心やさしい友人から人間関係の悩みを打ち明けられることがあります。「何で、○○さんは自分に冷たいのだろう」と。その際、各々が持っているもの、欲しいものを照らし合わせてみると「原因は嫉妬」と言えるケースが多いのです。


そのように指摘すると、友人たちは驚きます。「え、何で?だって○○さんは自分のことを××だって批判していたのに(ようするに友人は「○○さんの方が自分より上」と思っている)」。


「でも、○○さんは、あなたが持っている△△を持っていない。それに関する嫌み発言が、あったって以前、言ってたでしょう」・・・という具合に、関係性を解きほぐしていくと、最後に嫉妬という核にぶつかることがあります。


嫉妬に支配された人は、よく話を捻じ曲げます。実は批判する対象が、自分が欲しくても手に入らないものを持っていることが「嫌い」の原因なのに、それを認めるわけにはいかない。認めたら自分の人生を否定することになってしまうから。


「そんな大げさな」と思うかもしれません。でも、嫉妬にとりつかれた「嫉妬オバケ」にとっては「それ」こそが人生の一大事なのです。その秘密に気づいた人にも、攻撃の矛先を向けます。


嫉妬オバケから嫉妬を取り除くには、どうしたらいいでしょう。一番効果的なお祓いは、家族や親しい人から「それを持っていなくても、あなたは素晴らしい」と無条件で肯定されることです。だから親としては、自分の子どもたちが万が一にも嫉妬オバケにとりつかれないように、彼らの存在を徹底的に肯定したいもの。


ただし、家族以外の他人に対しては、そこまで責任を持つ必要はないでしょう。そもそも、近づくと攻撃してくるのが嫉妬オバケですから、まさに、触らぬ神にたたりなし。訳の分からない批判にさらされて困惑したり、辛い思いをしている人は「嫉妬されてる」という角度から、問題を見直してみると、意外と楽になるかもしれません。