大きな制約の中にも選択の余地がある


 見ていて感じたことが2つあります。1つめは、同じ国で同じ制約の中で生きる女性であっても、世代によって自由度が異なる、ということ。ワジダとお母さんの比較でそれを痛感しました。片や男の子にいたずらされたらやり返し、片や夫が第二夫人を迎えるのを泣きながら受け入れるしかない。女性だからというだけで受けるひどい仕打ちの数々に、私の斜め前に座った男性が泣いているのが目に入りました。日本のまともな男性が見たら泣いちゃうくらい、ひどいです、本当に。


 この映画が素晴らしいのは「この国の女性は抑圧されています」で終わらないこと。きちんと変化の兆しや希望も描いています。ワジダのお母さんと同世代の「レイラおばさん」は、通勤の不便(女性は車を運転できないから男性の運転手を雇わなくてはいけない)を解消するため転職。病院で働くのですが、そこには男性の同僚もいるのです。一方でワジダのお母さんは「夫の嫉妬」を恐れて、そういう仕事はしないときっぱり言います。非常に制約が多いとはいえ、その中にも選択の自由らしきものが見え隠れしています。


 この辺りは監督の生い立ちも影響しているかもしれません。1974年生まれのハイファ・アン=マンスール監督は、サウジアラビア発の女性映画監督。映画館すらないサウジアラビアで映画を作る苦労も交えて、パンフレットに収録されているインタビューが非常に興味深いです。


 あまりネタバレはよくないので一つだけ。監督は自分の良心が因習を気にせず娘たちを大学に進学させたり、留学させたこと「女だから」という理由で何かをさせなかったことはない、と明言しています。政治制度だけを取って見れば、大変とかかわいそうといった言葉でくくられがちな女性の状況を、意思の力と適切なコミュニケーションの積み重ねで「変えられる」ことを感じさせてくれます。映画を見たら、ぜひパンフレットも買って読んでみることをお勧めします。