マララさんの自伝を読みました。


マララさんは女性にも教育を受ける権利を、と訴えてタリバンに顔を撃たれたパキスタンの少女で、史上最年少のノーベル平和賞候補者になりました。…といったことは、多くの人が知っている通りです。


この本で私がいちばん印象に残ったのは、お父さんのことでした。男の子しか家系図に載せてもらえない社会。そんなことは気にせず、お父さんは生まれてきた娘を男の赤ちゃんと同じように祝福してほしい、と知人に頼みます。そして娘に民族の英雄(ヒロイン)の名前を授ける。


私財を投じて女子教育の学校を作り、宗教指導者から邪魔されたら毅然として反論する――。お父さんの一連の行動を見ていると、イスラム教が女性の権利を制限しているのではなく、宗教を理由に人権侵害をしたいグループが、そういうことをしているのだ、ということが、よく伝わってきます。


他の女の子は制限のある暮らしを受け入れざるをえない中、このお父さんは娘に何でも好きなことをしたらいい、自分が守ってやると繰り返し言います。彼がニーメラー牧師の詩を持ち歩いていたエピソードを知り、とても感銘を受けました。ニーメラー牧師は「ナチス共産主義者を迫害した時…」という、あの有名な詩を書いた人です。自分とは違う属性の人が迫害される時、不安に思いつつ黙っていたら、最後は自分が迫害され、立ち上がったものの「しかし、それは遅かった」という有名な一文で締めくくられています。


銃撃事件のことを聞いた時、最初は活動家の親に子どもが巻き込まれたのかと思いました。マララさん自身、そのように解釈されることを推測し、本の中で反論しています。タリバン批判は自身の意思であった、と。


「子どもを育てることは未来を育てること」と、よく言います。やや手垢のついた表現ながら、この本を読んで感じたのはそういうことでした。それぞれの社会が内包する抑圧や制限を、受け入れて粛々と生きるのか、それとも変えようと抵抗するのか、はたまた強化するような態度を取るのか。親が自身の生きる社会をどう捉え、どのように対峙するのか。それは子どもに増幅された形で影響を与えます。


もう一つ、私が思ったのは、どんな社会にもマララパパのような人がいる、ということ。例えばサウジアラビア初の女性映画監督は、両親から、女の子だから○○できない、と言われたことは一度もない、とインタビューで語っています(映画『少女は自転車にのって』を見た際に購入したパンフレット収録の記事)。


制限の度合いは遥かにゆるく、基本的な人権が認められている日本でも同じことが言えます。女性が仕事を続けるのが難しいこの社会で、私や私の友人たちが子どもを育てながら仕事を続けられるのは、強弱さまざまな抑圧に、抵抗するたくさんのマララパパがいるからだ、と。あるマララパパは夫という形で、あるいは父親という形で、または上司や同僚や友人という形であらわれます。彼らがタリバン的ではなく、マララパパ的にふるまうこともまた、少しずつ日本を変えている、と思いました。