今朝は気温が2度まで下がった。

午前中からお昼過ぎまで雪がちらついて、初積雪に。初雪は2週間ほど前だったが積もったのは今日がたぶん初めて。これから3月末まで続く長い冬を思うと少々気分が重い。

お昼から、Institute for Research on Women and Gender(女性ジェンダー研究所:写真)で開かれたレクチャーを聴きに行った。テーマは「開発とジェンダー」、論点は次の通り。

・2000年頃から世界銀行は途上国の開発援助の際、ジェンダーの概念を積極的に取り入れ始めた
・これは進歩に見えるが、フェミニスト経済学者の観点からは批判点が多い
・世銀のプログラムはヘテロセクシャル異性愛)のカップルのみを念頭に置いている
・また、男性が家計を支え、女性が家事育児を担う「普通の家族」を目指している
LGBTレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の存在を無視
・南米では女性が家計を支えている先進的な例もあるのに、男性が家計を支える旧来型の家族モデルを推進

結論は「保守的な政策決定者が貧困問題解決策にジェンダー視点を取り入れると、性別役割分担を強化してしまう」ということ。つまり、世銀のジェンダー施策は古くてダメ。

いかにもアメリカらしい。質疑応答の時「(先日ノーベル平和賞を受賞した)グラミン銀行のアプローチは、保守的だと思いますか」と尋ねてみた。グラミン銀行の融資先のほとんどはバングラデシュの貧しい女性だ。「女性が経済力を持つと子供の栄養状態が良くなり、通学率も上がる」という考えが前提にある。こういう考え方をフェミニスト経済学者がどう見るか聞いてみたかったのだ。

すると「諸刃の剣だ」という答えが返ってきた。グラミン銀行の取り組みはバングラデシュ貧困層を助けるのに役立った。だが背景にある「女性は家族をケアするが男性はケアしない」という前提は良くない、というのが理由だ。

まあ理屈は分かるがこういう意見を聞くと複雑な気分になる。現実を見れば、グラミンの施策で救われた人が大勢いるからだ。理論的正しさを追求している間に貧しい人は死んでいく。少しくらい考え方が古くても、さっさと実践に移して人助けをした方がいいではないか。

環境が変わると考え方も変わる。日本にいた時は私も「古い考えに基づいたジェンダー施策はしない方がまし」と思っていた。例えば企業の女性活用施策。育児支援ばかりで子供がいない女性、出来ない女性、欲しくない女性が視野に入っていない。大体、育児は女の仕事という前提が古い。

日本企業の女性活用策にイライラするたび「きっと私がラディカルすぎるんだろう」と思ってきた。ところが超先進的なアメリカの大学コミュニティーに来てみると、私は保守的なのではと思うことさえある。これは英語以上にカルチャーショックかもしれない。