プエルトリコ観光中、2回、居心地の悪い思いをした。

見渡す限りヒスパニック系(白い肌の人と浅黒い人がいる)と米国人観光客で東洋人は私たちだけ。アジア系比率はチュニジア並に低いが、不思議とじろじろ見られることはなかった。飛行機を乗り継いだオハイオ州クリーブランドの空港では、白人客からチラチラ見られて「ああ、中西部の田舎の人は東洋人が珍しいんだな」と思ったのだが。


違和感を覚えたのは視線でなく、現地ガイドたちの歴史に無知な態度だ。熱帯雨林を散策するツアーと旧市街を歩くツアーに参加した時に感じた。プエルトリコの自然や歴史について説明しながら、彼女たち(たまたま2人とも女性であった)は「コロンブスが500年前にこの島を発見した時・・・」と何のためらいもなく話すのである。


熱帯雨林ツアー(写真)では「この山の奥にはタイノ・インディアンが住んでいます」と言うから、スペイン人がいかにして原住民を殺したのか説明するのかと思ったら、なんと話はそれでおしまい。インディアンの話題はあたかも珍しい動物であるかのように、流されてしまった。旧市街ツアーのガイドは「プエルトリコはイギリスやらどこそこの国に何度も攻められました」と言いながら、イギリス人観光客に向かって「あなたの国よ」と笑っている。ちょっと待ってよ、最初に"攻めてきた"のはあなたたちでしょう・・・と喉元まで出かかったが、こんなところで議論をしても仕方ないのでやめた。しかしどうにも不快なのでこのツアーは途中で抜けることにした。


500年も前の話ではあるが、コロンブスによるアメリカ大陸や近隣諸島の"発見"は通常、留保条件つきで語られる。少なくとも、きちんと教育を受けたアメリカ人は何も考えずに発見という言葉を使わない。あえて使うのは自覚的な保守派である。大学コミュニティーの偽善的なPC(政治的正しさ)には鬱陶しさを覚える私でも、このガイドたちの無知ぶりには軽く腹が立った。


数日後、旧市街にある要塞をガイドなしで見学したところ、土産物屋にはタイノ・インディアンの歴史を記した書籍や写真集があり、少しほっとした。同じコーナーには奴隷を扱ったことで悪名高い三角貿易に関する本もあった。買って帰って読んでみたところ、アフリカからの黒人奴隷の数については諸説あり、350万人から1000万人という。ここまで数が多いと、どれが正確なのか議論するのも無意味に思えてくる。ちなみに、アメリカ合衆国に連れてこられたのはこのうち、5%だそうだ。一番多い行き先は約40%でブラジル。アメリカには、今もなおアフリカ系に対する歴史的不正義をただそうという姿勢があるが、他の国はどうなっているのだろう。