子どもがアボカドを好きで、よく食べます。ある日のこと、


私「こんなに小さい頃からアボカドなんて食べてたら、贅沢になるんじゃない? 私が子どもの頃はアボカドなんて食べ…」

夫「バナナ、バナナ」

私「あ、そうか」

夫「でしょ」


何のことか分かりますか。ちなみに「バナナ」の代わりに「グレープフルーツ」を入れても意味は通じます。


夫が言いたかったのは、「かつて高級品で、めったに食べられなかったバナナも、今や日常的に食べている。同じことが、アボカドにも当てはまるであろう。モノの価値は変わるから、心配しないで大丈夫」ということ。


私は「バナナ」の一言で理解したわけですが、夫とはそれだけ、話の文脈を共有しているわけです。テーマによっては、会話の大半がこういった「暗号」で事足りてしまうことすらある。心地いい一方、説明能力が低下していくというデメリットもある。似たようなことがどこの夫婦・家族でも起きているはずだ。


ちなみに私は社会人になってから数年間は、桃やイチゴなど「子どもの頃、高価だとされた果物」を買う時にとても緊張した。1個(1パック)せいぜい数百円であり、飲み会では数千円も使っているというのに。


仕事がんばったから、と〆切明けに桃を買うと嬉しかったのは入社何年目までだったか。経済的に自立することの大切さを知るために、子どもはちょっと我慢するくらいがいいと思うが。