多くの人にとって、仕事は単に時間をカネに換える手段ではない。


たとえ昇進や昇給がほとんどなくても、少し難しい課題をうまくこなした時の達成感、以前より難しい仕事ができた時の成長感、同僚との心和むおしゃべり、客や取引先に喜ばれたり、上司に褒められることは、小さな喜びをもたらしてくれる。


こういう良い体験が積み重なって「僕(私)はここにいてもいいの?」という不安は解消される。居場所がある感覚を得られる。


仕事は自己実現の手段であり、承認欲求を満たしてくれるのだ。


しかし、しかしである。


ホワイトカラーの多くは、仕事で承認欲求を満たそうとするあまり不幸になっている。


ちょっとした失敗、それも誰にも迷惑をかけないことでくよくよ気にしたり、次から次へと取りつかれたように難しい目標を設定してみたり、適当な褒め言葉がもらえないと落ち込んだり。


確かに向上心ゆえかもしれないが、だから何だというのだ。別にいいじゃん、何年も仕事の内容が変わらなくたって。たとえ自分自身は仕事で成長している感覚が得られなくても、家に帰って植物なりペットなり子どもなりの成長を見て幸せになれば。仕事場で褒められる感覚が乏しければ、友達なり家族なり恋人なりに褒めてもらえばいい。


ようするに、人生に仕事しかないから、カネを稼ぐことも心の拠り所も仕事に求めてしまう。これはバナナしか作っていない国の経済が脆弱なのと同じだ。ひとたび仕事で調子が悪くなると、いっぺんに不幸になる。別に降格されたわけでも、給料が下がったわけでも、失業したわけでなくても、簡単に不幸になる。解決策はバナナだけでなく、生産品目を増やすこと。


仕事を淡々とこなしながら、仕事から得られる感情的な報酬をあきらめることができると、だいぶハッピーになる。仕事の吸引力に勝る何かを見つけるのがなかなか難しいのですが。