ちょうど6年前の今頃、初めて産婦人科に行く前に、歯を磨こうとして歯磨き粉のついた歯ブラシを口に入れたら、気持ち悪くて吐いた。この時、24時間を自分のために使える生活が、終わった。


 気持ち悪さに支配され、何もする気にならない。住んでいた部屋の窓から外を見て、ここから飛び降りたら楽になるか? と、これまで1度も考えたことがないことを、考えた。


 つわりが終わると走れなくなった。信号が赤になりそうだったら、これまで走っていたけれど止まって次を待つ。電車は1本見送って座る。エスカレーターは右側を歩くのではなく左側に立つ。駆け上っていた時は気づかなかったけれど、いたるところに階段があった。


 ここまで体調が悪いと、産後はむしろ楽だった。そして、今度は時間が思うようにならなくなった。走れるようになったので、夕方はいつも走る。地下鉄の駅の階段を駆け下り、エスカレーターの右側を駆け下り、平らなところはスピードを上げ、走って走ってそのうち転んで足をくじくなと思いながら電車に飛び乗った。


 時間がないから、去年までなら「これは違うと思う」と言っていた仕事に、口をはさまず、さっさと仕上げるようになる。これは違う、これは違うと思いながら、でも、気遣ってもらっているから、親切にしてもらっているから、マイナスなことは言うべきじゃないと思って言葉を飲み込む。仕事の質で妥協し続けるうちに、二級労働者意識がしみついてくる。


 そうしているうちにも、子どもは大きくなり、寝返りし、座り、立って、歩いて、走るようになる。笑い、手をたたき、「ママ」や「パパ」と言うようになる。本を読み聴かせると喜び、「よんで」と自分で持ってくるようになり、やがて自分で読みだし、さらには「ママ、オオカミ王ロボを読むから聞いてて」と言い始める。


 ふと気づくと、1日のうち3分の1しか自由にならない生活が当たり前になっている。そして、周囲の誰も自分を責めなければ文句も言われず、他の仕事仲間と同じように会話をしていることに気づく。そこには、子どもを病院に連れて行くので会議時刻をずらしてくださいと言うと、何もなかったかのように「13時からにしときました」という男性上司がいたり、夫の出張と重なってしまったので、この会議出席は厳しいですというと「みんなが出られる日に変更しましょう」とさらっと再提案する女性上司がいたりする。親族の葬儀があるので遠方へ行くというと、優しい言葉をかけてくれる男性の同僚や別の部署の女性の先輩がいたりする。ものすごく忙しいのに、要所要所で的確なアドバイスをくれる人たちがいる。


 家に帰ると「おれも家のこと頑張るから、仕事やめないで」という夫がいる。「ママ、もっと本読んで」という息子がいて「ちゅー」という娘がいる。子どもの成長を一緒に喜んでくれる保育園の先生がいて、「元気ですね」とか「いちばんかわいい時ですね」と声をかけてくれる近所の人がいる。


 もはや自分が罪悪感も二流意識も覚えずに、働きながら家族と過ごしていることに気づいた夜、5才児と並んでうつ伏せに寝っ転がりながら「海のものと山のもの」を読んでいると、1才児が乗っかってきて肩をとんとんたたいてくれた。何だかすごく、幸せだ、と思った。みなさまありがとうございます。