午後6時頃、もうすぐ1歳になる娘が立ち上がった。


何度か自分で練習した後、目が合ってにっこり笑い「これから、やるわよ」みたいな顔をして、手で床を押してすっと立った。


「すごい、すごいね!」と拍手をして、隣の部屋にいた夫を呼んで家族3人で手を叩くと、嬉しそうに、大黒天みたいに満面の笑みを浮かべた後、座った。


しばらくしてまた目が合うと「また、やってみるよ」と微笑んだ後、立ち上がった。今度も家族みんなで拍手して喜んだ。


頑張ること、認められること、一緒に喜ばれること、それが嬉しいこと。0歳児の頭の中で人とのコミュニケーションと自分の感情がつながっていくのが、手に取るように分かった。


娘はいつものように午後9時半頃、眠った。


午後10時すぎ、4歳の息子を寝かしつけていた夫が私を呼んだ。「大事な話があるからこっちに来て」。


部屋に入ると夫の上に「乗っかり寝」した息子が泣いていた。「赤ちゃんばっかり、ずるい…」。一緒になって拍手していたけれど、やっぱり悔しかったようだ。「僕も頑張ってるのに」。確かに最近、ピーマンも玉ねぎも食べている。頑張りすぎて疲れているのかもしれない。


「一番に生まれてきたから、パパもママも一番好きだよ」と夫がなだめる。しばらくの間、泣いている息子を2人揃ってなでていると、すっと眠ってしまった。


小さな子どもがいる家庭なら、よくある風景だろう。当たり前に繰り広げられる成長と喜び。きょうだい関係を見守る親の目線。


今日が休日でよかった、と働く親である私は思う。そして、たとえ平日でも、頑張って時間管理をすれば、このような夜を過ごせるような、柔軟な働き方が可能な職場・職種でよかった、と。時に持ち帰り仕事で徹夜になっても、子どもの夕食から就寝までの「家族のゴールデンタイム」を確保できれば、良い。


なぜ、子持ちの母親の多くが、時短勤務を選ぶのか。それも、制度を使える限り長く。小さな子どもと暮らしていれば、その答えは明らかである。子どもの成長を見届け、気持ちを受け止める時間を毎日の生活の中で確保したい。柔軟でない勤務体系の中、希望をかなえようと思ったら、時短をとるのはごく当然だ。そんなささやかな願いを贅沢とかやる気がないと批判するような社会だから、少子化は止まらず、女性(またはprimary caregiver)はやめていくのである。