米国の文化人類学者が行った、アルコール依存症患者を家族に持つ日本女性に関する研究をまとめたもの。


著者はプリンストン大学東アジア研究学部のエイミー・ボロボイ准教授


アルコールに依存する夫や子どもと妻がどう向き合った/ているか、自助グループにおける参与観察やインタビューを通じて明らかにしている。インタビューに応じた女性たちは、現在70代を超えている主婦たち。研究時点では40〜60代と思しき人が多い。この世代の人らしく、耐える女性が多い。夫の滅茶苦茶な要求を黙って聞き、お酒を買ってくる妻。子どものわがままに寄り添い続ける母など。


研究対象は、ふつうでない状況事態に追い込まれているが、背景として描かれる日本社会の仕組みは、ふつうに今を生きる私にも、馴染みのあるものだ。例えば年金など専業主婦優遇の経済政策。そして嫁が担う重い役割。自分で選択できることが極端に少ない人生。
そうした問題を、著者は心理学や社会学の枠組みで分析する。使われる用語が共依存フェミニズムジェンダー。「ああ、また日本はダメって話か…」と思わないでほしい。


エイミー先生(と呼ぶのがぴったりのチャーミングな人だ)は「進んだ西欧の考え方」をふりかざして「遅れた日本」を斬るような、つまらないことはしない。本書に再三、日本の状況は、アメリカ型のフェミニズムだけで理解しきれるものではない、と記している。一見、不自由な日本の良妻賢母たちも、妻であり、母である限り、その社会的地位は保証されている。それは、容易に離婚できるが心理的経済的な不安定に陥りがちなアメリカ女性から見ると、少しうらやましくすらある…そのように、書く。


サバティカルで来日していたエイミー先生と、2回ほど食事をした。流暢な日本語で先生は言った。「日本の主婦がうらやましくなることがあります」と。


同じことが、本にも書いてある。専業主婦優遇の税制や年金制度、そして「子どもは家庭で母親が育てるべき」という社会的通念は、女性の人生から選択の余地を奪う一方で、子育てに専念するという選択をした女性に、社会経済的な裏づけを与えている、と。とてもフェアな指摘だと思う。


日本の社会や家族をこのようにフェアな視点で見ることができるのは、エイミー先生自身が、日本で子育てをし、保育園を利用した経験があるためだ。日本の保育園には「経験豊富で、自治体の補助金のおかげできちんとした賃金をもらい、自らを専門職と自負する先生たち」がいる。そうした先生たちは時として親に対して「指導的」に接するため、文句をいう保護者もいたが、自身は「ここまで子どものことを真剣に考えてくれるとは!」と感動したという。子どもの言動を細かく記した連絡帳や手形足形をとってくれること、歌いながら寝かしつけてくれること。


保育園の先生や、医師やお店の人や、道で突然出会う人から受けたエイミー先生が受けた印象は「母親業は大変で大事」ということで、それは、アメリカではあまり聞かれなかったことだ、という。


3児を育てながら世界のトップスクールで研究を続ける女性から聞くと「日本の家族」や価値観を、新たな目で見ることができるのではないだろうか。