東京は真夏の暑さです。わが家の子ども達はそれぞれ、今春、小学校に入学したり、幼稚園に入園したり、転機を迎えました。親の方も、それに合わせて環境が変わっています。


今日も午前中は幼稚園行事に参加してきました。園に行くと、自分の子どもの様子を見るだけでなく、赤ちゃん連れで参加するお母さん達と話すのも楽しいです。赤ちゃん、すぐ大きくなりますよね。「ええ!もう歩いてる!」とか「きょうもおりこうだなあ」という子がいるかと思ったら、幼児がわんわん泣いていたり。この間、保護者会でお父さんが「赤ちゃん生まれました」報告してくれたと思ったら、今日はお母さんが新生児を抱っこして参加している。子どもだけでなく親の居場所にもなっていることを感じます。


こんな風に、平日は在宅勤務を交えつつパートタイムくらいの労働時間で育児とのバランスを取りつつ、取材や講演で月に1回程度、出張もしています。今月は、アフリカに1週間を予定。


今日はたまたま朝4時半に起きて仕事しましたが、7時すぎからお昼までは主婦タイムだったし、午後からはまた仕事タイム。仕事と育児、その時々によって優先順位が混ざっています。


そういう中で、女性と仕事とか、女性活躍とか育児とかの話題をメディアで見ると、緊張感が伴ってるな、と思います。それは、無駄な緊張感です。


子どもが小さい時期に仕事を続けるかどうか。続ける場合、組織に残るかどうか。働く時間をどのくらいにするか…。そこに、子どもと母親の接触時間だの、習い事だの幼児教育だの、仕事も育児も出世も全部成し遂げた(ように見える)スーパーな人がいるだの、要するに、違う選択をした人同士が相手を不安にするような話題が出てくる。


くだらない、と思いませんか。私自身は「働く母親」ですが、自分の親は主婦でした。私自身は授乳しながら0歳で仕事に復帰しましたが、私の母は結婚退職しました。私は子どもが保育園の間はお弁当を作ったことがほとんどありませんが、私の母は幼稚園の2年間と中高6年間、毎日お弁当を作ってくれました。


そういう母は、私が仕事を続けることを一貫して応援してくれるし、子ども達が通っていた保育園を見に来た時も「素晴らしい」と大絶賛。だから、主婦に「働く自分」を否定された経験がないから、かもしれませんが、世にあふれる、女性を就労形態で分断する言説が、本当に下らない、と思う。


たかだか昼間の数時間、賃労働に従事しているか否かで、子育て世代が分断されるのは、あまりに馬鹿げている、と私は思います。今や子育て世代はただでさえ少数派なんだから、働いていようがいまいが、連帯した方がいい。


子どものために金を出せ!…というと人聞きが悪いけれど、子育て政策をきっちりやって下さい、と政府にプレッシャーをかけるとか、うちの夫も働いているお母さんも同じように、子どもの顔を見て夕食たべられる時刻に帰れるようにしてよ、と企業社会に呼びかけるとか。子育て世帯であることの共通項を大事にした方がいい。


だから私は、母親が働くかどうか、で線を引こうとする言説からは、できる限り距離を置きたいです。それは、子どもが小さいうちは家で24時間一緒にいなくてはいけないといったような、働く母親に向けられる悪意のこもった言説だけの問題ではなく、出産後に家庭に入ると生涯にいくら損するといったような、主婦を選んだ人たちに対する無味乾燥な批判も同様です。その程度のことは、分かって辞めているんじゃないでしょうか。


乳幼児や初等中等教育を受けている子どもを育てている、という、大きな共通項を持つ人同士が分断されるのは、誰を利するんでしょうか。少なくとも、私たちの子ども達は絶対に、得をしないでしょう。