小さな子どもを自分の手で育てていると、いろんなことがばかばかしく思えてくる。


例えば、少子化をめぐる議論。「○○をこれくらい増やせば、出生率がこのくらい上がる」という試算を目にすると、正直、腹が立つ。机の上でちょこちょこ式をいじって、子どもが増えたら苦労しないよ。そんな無駄なことしてる暇があったら、奥さんの手伝いをしなよ。独身なら、近所で手が足りなくて困ってる家庭でボランティアすればいい。体を動かさない奴がマクロの数字だけ見て「こうすれば子どもが増える」とか言うんじゃない。


他にも、偉そうに天下国家やら思想を論じること全般がなんだか、あほらしく思える、この頃。あなたがそういう暇つぶしをしていられるのは、身の周りのことを全部、妻に押しつけてるからだろう、と。


さらに言えば、主婦が暇だとか、専業主婦批判をする「働く女性」たちにも、実は賛成できない。なぜなら、小さな子どもを育てるのは、フルタイムの仕事よりずっと大変だからだ。


本日、私は13時間、育児&家事をした。朝9時に子どもが起きてから午後10時に寝るまで。子どもの昼寝中に、アイロンかけとか保育園の布団のシーツについているアップリケを縫うとか、子どもがいじったら危険な家事を片づけた後、30分ほど休憩してメールを3通書いておやつを食べた。子どもが寝た後はお皿を洗って洗濯をして、散らかった部屋を片付ける。これで1時間〜1時間半。自分の食事や入浴時間を差っぴいても、休日は12〜13時間“労働”で、これが、小さな子どものいる主婦の日常である。さて、これが暇と言えるだろうか。


この間、2人の子育て中の知人と会った。エリートビジネスマンのだんなさんには、育児の大変さが分からないそうだ。「産休中、ずっと家にいてわかりましたが、残業の方が楽ですよ」と、私は思わずだんなさんに言った。


全般的に感じるのは、家事労働や育児が、世の中からなめられているということだ。女がやっていることだから、価値が低いとみなされるのだ。ジェンダー研究者はずっと言ってきたことだが、あらためて現実世界を見ると感じる。家事労働をなめるな。


しかし、矛盾しているが、私が家事と育児に専念し、どうでもいいことを「論じる」のをやめられるかというと、それも難しい。「子どもかわいい」ばかり書いていると、それはそれで何だかばかっぽい感じがするのだ。要するに、私自身がジェンダー秩序を内面化しており、女領域の仕事を心のどこかで低く見ているのかもしれない。そもそも、こんなことをうだうだと書いていること自体、冒頭で書いたことと矛盾している。それでも書かずにおれないのだった。