12歳女の子の切れ味鋭い視線を通して描かれる半世紀前の韓国地方都市の生活

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 家族がいるリビングで開いても大丈夫。ママは品の良い小説を読んでいます…と判断して読み始めた初日から、こんなシーンに遭遇した。

 

 12歳の女の子が、無邪気な男尊女卑発言をした同級生の男の子を汲み取り式トイレに落とす。自分では相手に一切ふれず、彼の恋心を利用する策略は、実に巧みで意地が悪い。徹底して冷静に淡々と記された文章におかしさが募り、文字通りテーブルを叩いて笑っていると、傍らで別の本を読んでいた息子が「ママ、なんで笑ってるの?」と尋ねた。大まかに説明すると、本は息子に取り上げられてしばらく戻ってこなかった。

 

 本書の主人公は12歳の女の子、ジニ。時は1969年で舞台は韓国の田舎町だ。彼女はある事情で両親ではなく、祖母と叔父叔母と一緒に暮らしている。祖母は土地持ちで、賃貸住宅を数家族に貸したり、畑を耕したりしている。出生時の事情から、自分が社会から「歓迎されていない」ことを知ったジニは、世界を達観して眺めている。

 

「生は悪意と悪戯に満ちている。突然いじわるしたくなって、あたえておいた喜びを奪い返してしまうかもしれないし、喜びと同じくらいの悲しみをくれてやろうと待ちかまえているかもしれない。だからあまり喜びを顔に出さないほうがいい。喜びに酔いしれるのも、生の悪意を刺激することになる」(356ページ)

 

 

  彼女の人生観は、12歳にしてこんな具合だ。軍人との文通恋愛に夢中になる姉(実際は叔母)と、店子が経営する洋装店で働く若い女性が自分の兄(実際は叔父)に示す媚態を、同じ性質のものであると見抜いている。姉の「国語辞典」として、ラブレターを書く時に適切な表現を教え、失恋した時は黙ってそばにいて支える。悲しみを知った姉は、前より綺麗になった、と思いながら。

 子ども相手に油断してしまう周囲の大人たちの秘密を知り、変えられない理不尽な状況に思いを巡らせる場面も印象的だ。

 ジニの祖母が持つ賃貸住宅の店子のひとつは、仕立屋で、そこの主人はろくでなしだ。自分は働かず昼間から飲んだくれてよその女のもとへ行き、夜帰ってきては妻を殴ったり蹴ったりする。結婚のきっかけはレイプによる妊娠だ。

 ある日、通り過ぎるバスを見送る妻の姿をジニは見かける。地獄のような日常から逃れたくても逃れられない彼女の弱さと、酷い男尊女卑が温存される理不尽さを噛みしめる。

 そういう中でジニ自身にも恋心を抱く相手が表れるが「生」に翻弄されぬよう、自分の感情を鍛錬しようとする場面は微笑ましい。やはり12歳だな、と思わされる。ジニの視線は鋭いナイフのように、見慣れた野菜や果物をいつもと違う模様に切って見せてくれる。退屈な昔の田舎の日常生活が、生き生きと目の前に迫っては去っていく。

 このまま卓越した日常描写で終わるかと思っていると、物語は、最終章あたりから急展開する。ジニの成長を思わせる出来事、大小の悲劇と救済が立て続けに起こり、一気に結末に向かっていく。

 引き込まれて読んでいる時、これが外国の話であることや、自分の子どもと同年代を描いていることや、半世紀も昔であることは、頭の片隅に押しやられる。

 

 この物語は1995年、38歳になったジニが過去を振り返って語るという形式を取っている。女性にとって重要なある出来事について、ジニやその姉と、かつてのご近所さんは決定的に異なる意思決定をしており、そこに、韓国の社会経済階層格差や女性が置かれた環境の数十年にわたる変化が表れている。

 

 もうすぐ12歳になる息子が、この本のどこまで読んだのか、どう思ったのか、尋ねてもかえってくるのは生返事だ。日ごろ、恋愛や性について下品な冗談をいう級友を毛嫌いしている彼が、この本を黙って返してきた理由は想像がつく。恋愛や性がごみばこの中身に見えるか、人生の意義ある一部と思えるかは表現次第だ。

 私は、読み終えてすぐ、同じ作家と同じ翻訳者の本をAmazonで注文した。

 

 

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