雛祭りになると思い出す、祖母・佐野つね代のこと

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祖母が私にくれたお雛様をいまは娘のために飾ります

 

 娘と一緒にお雛様を出しました。私が赤ん坊の時、母方の祖母が一式、担いで静岡から神奈川まで持ってきてくれたもの。小物の配置は娘の好みで。

 大農家に生まれた祖母は手伝いが忙しく、学校に行けないこともあったそうです。畑仕事の帰りに友達の家の前を通ると、教科書を読む声が聞こえて「うらやましかった」と言っていました。戦争中は10代後半。軍需工場で働き友達と一緒に表彰された、と嬉しそうに話してくれた。

 19歳で結婚し、こじゅうと数人の親代わりとなり、自分の子2人も含めた家族のため、身を粉にしてケア労働をした一生でした。

 祖母が亡くなって四半世紀近く経ちますが、ジェンダー平等に関する仕事をしていると、祖母に会いたくなることがよくあります。おばあちゃん、日本はずいぶん変わったよ。私は今、好きなように生きてるよ、と伝えたい。

 私と祖母は、ほぼ50歳違いです。もし、祖母が生まれるのが30年遅かったら、料理上手を生かして起業していたかもしれません。人は時代の制約を受けて生きているし、自分が「できるつもり」になっていることの多くは時代と環境に恵まれただけだな、と毎年この時期、思います。