読書感想「ナチス軍需相の証言」(上・下:中公文庫)

 著者はヒトラーのもと、軍需大臣を務め、戦後ニュルンベルク裁判で20年の刑を科された。もとは建築家であり、ナチスの功績を建築の形で何世紀も残したかったヒトラーに気に入られて大臣に登用されている。

 上巻の途中まで、純粋な技術・芸術好きが全体主義政治に巻き込まれたのか…と思って読み進め、違和感を覚える。ユダヤ人迫害に関する記述がない。「ヒトラーの数少ない友人」を自称し、戦中、軍需大臣まで勤めて何も知らないはずはない。
 少ない関連の記述は「知らなかった」が「知ろうとしなかったことに責任がある」としている。また、技術者として、技術が悪用された結果の惨劇を目の当たりにした意思決定層として「世界が技術化されればされるほど、均衡を保つためには個人の自由と各人の自意識が必要となってくるのである」と記す。
  読み通して暗澹たる気もちになるのは、シュペーアがこのように率直に自分が見たもの聞いたものを記した歴史的教訓が、まったく生かされていないとしか思えない、今日の状況だ。同時に、少なからぬユダヤ人がイスラエル軍の行為に反対する様を報道ではなくSNSで見ることができることに、技術が分断をぎりぎりのところで留めているような印象も受ける。
 本書に関していえば、上巻の途中で読み続けるのに飽きてしまった場合は、読むのをやめて下巻の最後の方にとんでほしい。著者と面識があり、その人格に心酔していると思しき訳者の解説と、1980年代以降の研究をもとに、著者の偽善・欺瞞を厳しく批判する比較的新しい解説のコントラストに驚くはずだ。