ホロコースト研究の第一人者で「ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅」著者の自伝。「もっと早く読むべきだった」と自分の不勉強を後悔した。


私が本書を読みたいと思ったきっかけの書評です。
http://d.hatena.ne.jp/somnu-ambulare/20090207/1234343882


著者はウィーン生まれだが、両親と共にナチスの迫害を逃れキューバ経由でアメリカに亡命した。コロンビア大学の院生だった時「試験的に書いた」200ページの論文を読んだ指導教官は”It’s your funeral.”と述べている。アカデミアでも一般言論の世界でも皆が避けた話題を扱ったため、主流から離れてしまうことを示唆してのこと(P74)。


商業分野の物書き&編集者として食べてきた私は、長いこと、アカデミアというのは自分のいる世界とは異なり、流行だの、読者への阿りだのとは関係ない真実を追求する世界だと思っていた。その後、研究者である夫を介して学術の世界にも流行り廃りがあることを知るのだけれど、本書に記されているようなアンフェアな状況というのは、やはり驚きを禁じ得ない。


「ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅」は、膨大な資料を基に極力、客観的に書かれた書物で、例えば第6章強制収容の初めの節、122〜144ページまでの本文(要するに23ページ分)についているリファレンスが118もある、といった具合。歴史家の仕事というのは凄いと感嘆するばかりですが、こういう記載のしかたをもって、単に資料をたくさん集めたとみるのは浅はかである。「資料はそれだけでは意味をなさないからだ。断片である資料は解釈され、説明されなければならないのだ。それぞれの資料が一貫した記述の素材となるためには、それらは選択され、抜粋され、配置されなければならない」(P100)。


恐ろしい事実をひたすら淡々と記載しているのは「本文はテーマのみに限定されるべきであり、それを書いている人間は登場するべきではなかった」(同)と考えていたため。戦後しばらくドイツを訪れることすら躊躇していたヒルバーグだが、このように客観的で冷静な記述スタイルを保った理由が分かる。


初版から半世紀経ってもなお、読む価値がある(原書のアマゾンサイトを見ると、真面目な学生は皆読むべきとか、全ての図書館はこの本を置くべき、とコメントが書かれている)仕事をしたにも関わらず、ヒルバーグは教職につくのに苦労し、この素晴らしい研究を出版することにも苦労した。ようやく出版にこぎつけても、質の悪い紙に印刷されたり、当時売れていた同じテーマを扱ったでも軽い読み物に分類される本を模した表紙にされたり、不満は続いていく。自分も出版の仕事をしてきただけに、このような良心的な研究者がこんな目に遭ってきたと知ると心が痛む。


結局すべては「早すぎた」ということに尽きるのだろう。素晴らしい翻訳をされた徳留絹枝氏名は訳者あとがきでこう記している。


「あまりにも早く世に出すぎた処女作が長い間非難にさらされた悲しみと、後年古典となったその著書を今度は彼自身でさえ超えることができないと宣言された悲しみと……(中略)ヒルバーグ自身がその悲劇がなぜ起こったのかを未だに理解できないでいる姿を示唆して終わっています」(P244)


本文の最後は第三者の次のようなヒルバーグ評で結ばれている。

「…そして最後には絶望と無数の疑問しか残りませんでした。なぜなら、ヒルバーグにできたことは、認識すること、そしておそらくは把握することだけで、決して理解することではなかったからです…」(P242)