働く母問題を率先して語るのはどういう人々か


読み進むうちに、米国の大学で起きている妊婦・母親いじめと呼ぶしかない状況に唖然としました。上司に妊娠を告げたら迷惑そうにされたとか、それじゃあ、職を見つけるのは無理だと言われたとか、大学の育児支援制度について教授会に提案したら「そんなものはいらない」と言われたとか。ああ、日本でもよく聞くような話がたくさん。しかも、いじわる度では日本を上回るような話も多々あります。


前に記した、2)から3)まではおよそ6年。この間に一定の質・量の論文を書かないとクビになるので、プレッシャーが非常に大きいのですが、あまりに職場の雰囲気が悪いことに嫌気がさして、3)に到達したとたん、大学の職を辞めてしまったという母親研究者の体験談もありました。


驚いたので、現地事情に詳しい人に聞いてみたところ、厳しい答えが返ってきました。「それ、どこの大学の話?」。


実は米国でも、いわゆる一流大学(ハーバード、プリンストンスタンフォードetc...)では、立派な託児所を作ったり、子どもがいる若手研究者のキャリアパスを見直すなど、先進的な取り組みをしています。私が子どもを持ちたいと思ったきっかけの一つは、夫の指導教官(女性経済学者)が可愛い2人のお子さんと立派なキャリアの両立をしているのを目の当たりにしたため。能力と努力は並大抵でないと思うのですが、どうも本書で描かれる世界とは違うような…。


要するに、本書で描かれている「ひどい話」と一流大学のサポート体制の差は、一流企業とブラック企業の労働条件の違いと同様ではないか、ということでした。


確かに。前述したWM誌でランキングの上位にきているのは、いずれもグローバルに競争している一流企業ばかりです。一方で、本書に収録されている30篇余りのエッセイ寄稿者の経歴を見ると、この「中の人」の指摘は厳しいけれと当たっているような気もします。また、寄稿者の多くが人文系の研究者ということも、関係しているかもしれません。社会科学・自然科学の研究者を目指す人にとって、米国のアカデミアがそんなに悪いところか?という疑問は残ります。