今でこそ「働きながら、子育てするための方法」など、学生さんにお話することもあるが、約15年前、就職活動していた頃の私は、勤労意欲ゼロだった。


「会社で働くこと」イコール「無期懲役」のように感じられ、ものすごく暗い気分でOBOG訪問をした。


男女雇用機会均等法も育児介護休業法もとっくに施行されていたが、当時は今のように「女性活用」なんて言葉は流行っておらず、どの会社で質問しても「女性社員はいますが、子どもを産んだ女性社員は、うちの会社にはいません」と言われた。産むか、辞めるかなんだ、とぼんやり思った。


働くのは嫌だったけれど、本や雑誌が好きだったから、それらを作る仕事なら、苦痛は少ないだろう。そんな消極的な理由で出版社ばかりを回っていた。


並行して別業種も受けたが、女性差別はごく普通に行われていた。数年後に私の母校がある街に景観をこわすくらい高いマンションを建てて自治体から訴えられることになる会社の説明会に行った時のこと。ずらっと並ぶ学生を前に、その会社の人は「女性は事務職です」ときっぱり言い切った。マンションの営業や企画が主要事業の会社において、事務職は補助である。


私が手を挙げてこう尋ねたのは、ごく自然だった。「女性が営業や企画をやりたいと言ったら、どうなりますか?」。すると、会社の人は言った。「女性は・・・事務職です」。


思わず会場を見渡した。言っちゃ悪いけど、ここに並んでる男子学生と比べて、私のどこが劣っているというのか。私よりアホそうな男の子もたくさんいるではないか。


腹が立って仕方なかったが、職を見つけなくてはいけない。その会社のペーパーテストを受けたものの、回答用紙を見ながら吐き気がしたのを覚えている。その時、持ち歩いていたカバンの中に入った女性誌に、国生さゆりのインタビュー記事が載っていて、昔の辛い恋について語っていた。マガジンハウスの「pink」という雑誌だった。


あの時、試験会場で覚えた、穴に落ちて行く感覚。差別されてもむかついても、仕事がなくては生きていけない。だから仕方なく、おとなしく頭を下げて、自分よりバカかもしれない大人のいうことを聞く。おかしいことにおかしいと言えないと、人は吐き気を覚えるのだ。今、多くの若い人が仕事が見つからず、同じような吐き気を覚えていることだろう。


数日後、今の勤め先から内定の知らせを受け、件の企業に「面接辞退」の電話をかけた時のことは、10年以上経った今も忘れられない。勝った、と思った。


差別的な企業を受けたことも無駄ではない。おかげで、自分の選好がはっきり分かったからだ。選択肢は2つあった。1)自分より能力が劣る男に、男だからというだけの理由で「使われる」。仕事はラク。2)男女問わず、自分より仕事ができる人のもとで働く。過労で倒れるかもしれない。


2)を選び、2)に該当する会社に運よく拾われた数年後。明け方まで会社にいて、タクシー帰りが続いたある日、私は何をやってるんだろうとむなしくなった。その時、思い出したのは「女性は事務職です」というあの会社の担当者の言葉だった。明け方4時近く、タクシーの席に座りながら、私の選択は正しかった、と思った。家族ができ、働き方や価値観が変わった今も、その気持ちは変わらない。