働く女性にとってロールモデル不在は昔からある課題でした。雇用機会均等法ができても、育児介護休業法ができても、今や働く母親が数の上で珍しくなくなっても、女性はこう言い続けています。「先が見えない」。
私の周りにはたくさん働く母親がいるんだけどな、と不思議に思い、そして気づきました。私たち働く親たちとそれ以外の人々は棲み分けているのです。住む場所ではなく、時間を。同じ地域に住んでいても私たちとみなさんは、違う時間を生きています。同じ森に住んでいる、フクロウと昼行性の動物のように。
例えば子どもができる前は午後9時に帰宅すると「早い」と思いました。今、午後9時は子どもが眠る時間です。この差はとてもとても大きい。一方で朝は前より2〜3時間、早く始まります。人によってはもっと早いでしょう。
働く女性が育児と仕事の両立をどうしているのか。知りたい人は近所にある保育園に行ってみてほしい。防犯のため関係者以外は立ち入り禁止のはずなので、中には入れませんが近くまで行けばOKです。時間帯は朝8時前から9時くらい。しばらくその辺で様子を見ていてください。
子どもの手を引いたり、バギーに乗せたり、抱っこひもで前に抱えたり、後ろに背負ったり。いろんな恰好の親たちの姿を目にすることができるでしょう。同じ場所で夕方5時、6時台に同じように様子を見ていると、今度は帰りの光景が見られます。実にたくさんの働く親がいることが分かるでしょう。
大事なことは、送り迎えをしているのが母親だけではないということ。特に送りは父親がやることが多い。帰りは祖父母らしき人もたくさんいます。
【問題】これらの光景から何が読み取れるか。800文字以内で書いてみてください。
【解答例】働きながら育児をするためには、母親だけが頑張ってもダメ。父親も同じくらい頑張らなくてはいけない。云々・・・
ちなみに私の子どもの保育園では、父親の送迎はごくごく当たり前です。私も夫も、子どものクラスメートのほぼ全員のお母さん・お父さんの顔を知っています。要するに母親が安心して仕事をするためには、父親の育児参加が必要不可欠なのです。
こういうお話をすると、次にくる質問は決まっていて「どうしたら、協力的な男性を見つけることができますか」。ここには一つ、大きな間違いがあります。
それは「協力的」という表現。もし、新入社員の採用面接で「私は御社の仕事に協力します」という人がいたら、どう思われるでしょう。そう。「協力だって? 自分の仕事っていう意識がないんだ。こいつ、やる気ないな」。
家事や育児についても同じことが言えます。家事や育児を「手伝う」「協力的な男性」という言い回しが普通に使われている背景には、家事も育児も男の仕事ではないという意識があるのです。まず、それに気づくことが大事だと思います。
子どもを産んだ後も、やりがいがある仕事をしたい女性は、まず、自分自身の中にある伝統的な価値観を見直す必要があります。そのために今からできるのは、学生の彼氏におごってもらうのをやめること。
何それ? と思うかもしれませんが、大いに関係があります。家事育児をするのは男性にとってやはり面倒くさい。これまで「男だから」料理も掃除も洗濯も全部、妻にやってもらってきたのは、彼らにとって、既得権益です。男性にも家事育児分担をしてもらい、自分は自分のキャリアを築きたいと思うなら、女性も「女だから」おごってもらうとか養ってもらって当然いう意識を捨てる必要があるのです。働く権利と稼ぐ義務。いいとこどりはできないのです。