朝鮮戦争時代の韓国知識人を描く小説「広場」

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 1950年前後の朝鮮半島を舞台に、生きがいや理想を求め苦悩する哲学専攻の大学生が主人公。高野悦子二十歳の原点」や夏目漱石が好きな方に親和性あると思います。

 南北両国が当時持っていた問題を簡潔に抽象度高く描いているのが見事です。南の権力は「反共」ゆえに日帝すら同類とみなしてしまう。北は「灰色の共和国」であり主人公は「党」。

P154、越北した主人公が失望して考えること。
「ああ、党は僕に、生活するなと言っているのです。(中略)党が考え、判断し、感じ、ため息をつくから、お前たちは復唱だけしろというのです」

P165「人間が最も理想的なものとして思い描いていた夢が、どうしてこんなものに化けてしまったのか」

 北の政治社会に失望したまま主人公は朝鮮戦争に兵として参加、南で捕虜になります。停戦後、彼が南北どちらにも「帰らない」選択をした心情は半世紀以上経った今、私に国籍も性別も超えて伝わってくる。優れた小説には普遍性があるから。

 ただし、時代の制約を感じるくだりもあります。それは女性像が紋切型であること。
 南でも北でも、愛を交わした女性達は美しい肉体を持つ不可解な、そして知性なき存在として描かれる。特に北の恋人は「ローザ・ルクセンブルクに関心を払わない」。とても分かりやすい。

 本書が優れているのは、こうした批判的読みに対して「それは教条主義ではないか」という反論をあらかじめ準備しているように思えること。
 個人の自由が剥奪された極限状態で「自分が人間であることを実感できる」恋人との関係ををどう見ようと、それは彼の自由ではないか、と。
 北の新聞社で主人公が迫られる数々の「自己批判」。そのナンセンスぶりに苦笑しながら、言論の自由があるはずの現代日本で、似たような吊し上げが行われていることを、つい想起してしまう。これも本書の持つ普遍性ゆえでしょう。