冬休み読書(2)「蜻蛉日記」

f:id:rengejibu:20220103181117j:plain

 著者は藤原道綱の母。百人一首では「嘆きつつ ひとり寝る夜の明くる間は いかに久しき ものとかは知る」の人です。巻頭の家系図によると「道綱母」は藤原兼家の4人いた妻のひとり。兼家は時姫との間に道長を始め5人の子どもがいたそうです。
 この本は道綱母の19歳から39歳の20年間を記したもの。ひとことで言えば、一夫多妻制に苦しむ女性の嘆きと愚痴が書かれています。夫が自分のところに頻繁に通ってくれない苦しさと、他の女性のもとへ通っていくことへの嫉妬でがんじがらめになり、生きる意味が見つからない、つらい、苦しい、という感情の吐露が主題でした。
 最初は気の毒な女性と思って読み始めたものの、延々、これが続くので正直うんざり。道綱母は「もっと私のところに来てほしい」と素直に言いません。兼家が何日間、自分のもとに通わなかったか数えているのに、いざ彼が訪ねてくると拗ねて会わなかったりする。皮肉を言ってけんかにもなる。
 典型的な状況がP229で描かれている。久々に自分のもとを訪れた兼家に対して口をきかずにいると
「なぜ返事をしないんだ」
と尋ねられます。これに対して
「何か申し上げることがあるでしょうか」
と答えてしまう。感情をはっきり言わない。
「どうして来ない、訪れない、憎らしい、悲しい、と言って、なぐったりつねったりすりゃいいじゃないか」
という兼家の言葉は勝手ですが的を射ています。浮気する男性は、この辺り共感して読めそうに思います。
 私は「兼家の言う通りだ」と思いつつ、道綱母が兼家に執着する理由がいま一つ分からない。それは、彼女の文章から兼家の魅力が伝わってこないからです。
 「源氏物語」の光源氏は浮気男であちこちに女性がいて、自分に都合のいいことばかり言う最低な奴ですが、容姿や芸事、気遣いに優れていた描写があり、まあ、こういう男に惹かれる女性は多かったんだろう、と思う。兼家にはそれがない。少なくとも道綱母は彼に執着する理由を的確に書いていません。
 いっそ浮気夫には見切りをつけて、ひとり息子の道綱の出世の道具として上手く利用すればいいのに、と思うのですが、道綱母はそういうタイプではなかったようです。山にこもって出家のまねごとをしてみたり、兼家に力づくで呼び戻されてみたり、どう生きたいのかはっきりしない人というのが一読した印象です。
 食べるのに困っている階級ではないので、浮気夫に愛される以外の生きがいを見つけられれば良かったのに。