倉敷旅行、主に大原美術館で考えたこと

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 いろいろなことが落ち着いた春休み、倉敷に旅行しました。出張ではない純粋な「旅行」は久しぶり。現代日本の都市で暮らしていると、倉敷の白壁の街並みは「江戸時代」という外国に旅行しているみたいです。

 夜、到着して駅前の百貨店で夕食をとったら、親切な中華料理店で梅酒をおまけしてくれました。翌朝は街中の古民家カフェで朝食をとった後、大原美術館へ。

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 館内、入り口付近に有名な画家の作品がいくつもあります。どんどん進んでいくと、エル・グレコ「受胎告知」の前に椅子が並んでいて座って見られるようになっていて、誰もいなくて得した気分になる。
 ここは日本初の西洋画を集めた美術館として1930年に開館。紡績業で財をなした大原家の当主・孫三郎とその友人で画家の児島虎次郎の友情から生まれた美術館であることが、いくつかの解説から分かります。児島は大原家の奨学金を得て現在の東京芸大で学び、欧州に留学も果たしています。

 日本に西洋画を持ち込んで人々に見せ、美術界を発展させたいという児島の要望をうけいれ、大原家がスポンサーとなり児島の目利きで集めた作品を展示したのが大原美術館です。孫三郎は「10年先が見える」が口癖だったようですが、開館から既に92年が経ちました。実際には100年後も倉敷の街に賑わいを呼ぶ美術館を作ったことになります。未来が見えるイノベーターだったのだな、と思います。

 

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 私が泊まった倉敷国際ホテルは美術館に隣接していて、白壁の街や美術館を訪れる観光客を想定して1960年代に作られています。もともと紡績工場だったレンガ造りの建物は、ホテルやレストランを含むアイビー・スクエアとして生まれ変わり、ここも観光客がたえません。父の実家が岡山県の山間にあり、子どもの頃、祖母と一緒に倉敷に来てアイビー・スクエアで洋食を食べたことを覚えています。

 白壁の町の中には大原本邸があり、そこに孫三郎の息子、総一郎の書棚が展示してあります。紡績業に関連した技術分野、芸術などに加え、レーニンの著作や労使関係に関する本も並んでいて、視野の広さを感じました。

 未来を見通す力のあるイノベーターは正しいお金の使い方を知っていた御曹司でもあり、文化、芸術、社会科学などの教養が背景にあるのだなと思います。