ナチスの官僚機構の働きを克明に描く歴史書

f:id:rengejibu:20220414083530j:plain

 アメリカの歴史学者ラウル・ヒルバーグによる大著。タイトルの「ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅」とは、いわゆる「ホロコースト」を指します。

 本書はナチス・ドイツの官僚機構としての働きを一次資料の文書から解き明かしており、膨大な参考、引用文献を踏まえています。

 ひとつの民族を丸ごと根絶やしにする政策の実行は、極悪人ひとりの思想では説明がつきません。ナチス・ドイツは精緻な官僚機構を備えており殺害命令を文書で示すのはまれなことでした。我々が今、ホロコーストと認識している事実は「ユダヤ人問題の最終解決」と呼ばれたのです。

 つまり「最終的な解決」を絶滅と解釈し、そのために必要な諸制度を整備した官僚機構の働きなくして、数百万人の殺害はなかったわけです。その官僚機構がいかに働いたのか、ひたすら事実を積み重ねていきます。

 本書の上巻ではユダヤ人を「定義」し「登録」し財産を「没収」するための法整備と行政の動きが書かれています。絶滅収容所に人々を送ることは「移送」と呼ばれました。下巻には、絶滅収容所ガス室が「シャワー」と呼ばれたこと(これは多くの人が知っていますね)、シャワーを浴びるのは、他の収容所に行く前に身体を清潔にするため、という説明がなされたことが書かれています。そのため絶滅収容所は表向き「中継」地点と呼ばれたそうです。

 上巻の終わりから下巻にかけては、ナチス・ドイツが支配した各地域がユダヤ人絶滅政策にいかなる協力や抵抗をしたのか描かれています。それは元から諸地域にどのくらいユダヤ人が住んでいたのか、差別意識はどの程度だったのか、ナチス支配の強度や行政の体制によって異なります。ある地域では人権意識と緩いナチス支配が、別の地域では王様の考えが影響してユダヤ人を助けたり殺したりします。

 ナチスを裁き「人道に対する罪」を創設したニュルンベルク裁判は、画期的なものだと思っていましたが、著者によれば、あまりにも多くの加害者が罪を問われなかったようです。戦後、ナチスの犯罪に対する見解に変化が生まれた後で逮捕された加害者が、高齢や病気を理由に釈放された下りは皮肉です。ナチス強制収容所では働けない人はガス室で殺されたから。

 本書が明らかにするのは、ヒトラー個人の狂気に進んで協力した優秀な官僚機構が史上まれに見る巨悪を生み出した事実です。ホロコーストに関心がある人はもちろん、優秀なホワイトカラー労働者に読んでほしいです。