100年前、参政権を持たない女性たちのアドボカシー:読書「廃娼ひとすじ」

 

 古書か図書館で入手するのが少し手間ですが、身体の底から元気になるでしょう。
 著者はキリスト教婦人団体で公娼制度廃止に尽力した女性。牧師の家庭に生まれ、親元を離れ女子学院で学びました。子育て、夫の仕事サポートをしつつ、当初は10時~16時に限定し社会運動に身を投じるところは現代のワーキングマザーも身近に感じられる。
 当時、女性がお見合い相手に「一夫一婦制をどう思うか」と問うても「約束はできない」と言われたそうです。つまり男性の婚外性交を社会も法も是認していました。もちろん、女性は参政権すらありません。
 ないものだらけの中、日本国内のみならず、時には海外からも資金集めをして、政治家や新聞社に働きかけ、地方をまわって講演し人々を啓蒙します。自由廃業した元公娼の教育、就労支援は各地の同志女性たちが担い、やがて政府からも相談をもちかけるようになります。
 貞操、純潔といった、現代人には理解しにくい価値観も提示されますが、今の言葉で言えば、女性の基本的人権を守る運動であったことは明らかです。
 読み進めるうちに、現代日本で是とされているいくつもの慣習が100年後には「ひどいことが黙認されていた」と振り返ることになるのだろう、と思うはずです。
 著者を含め、この運動にかかわった人たちは当時のセレブでした。英語教育を受け、海外視察の機会に恵まれ、子どもを預ける親族もいました。アメリカではルーズヴェルト、中国では周恩来と近しく話をしています。
 自らの持つ特権をフルに活用し、貧しさゆえ、もしくはだまされて売春させられていた女性たちを救うため奔走します。当時の政治家も新聞記者も男性ばかりですが、彼らを味方につけていくアドボカシー能力の高さに目をみはる。関東大震災東京大空襲で拠点が灰になる経験をしても、何度でも立ち上がる。
 今から100年少し前、1920年頃、筆者はこのように考えました。
法治国家において参政権は、唯一の弾丸であり、武器である。素手で私たちがいかに頑張っても、今の時代には通用しない。参政権公民権、法律作成の権利を、国民の一人としてもたぬかぎりは、今後のたたかいは進められない」(P153)
 本書に記された、女性参政権の獲得に向けた取り組みも読みごたえがありますし、今、参政権を持つ私たちがそれを生かしてきれていないことも感じます。
 第二次世界大戦後にGHQの指示で日本女性に参政権が与えられた…と思っている人は少なくないでしょう。幣原内閣の内務大臣・堀切善次郎氏は次のように話しています。
「婦選はマッカーサーの贈り物というのは誤りである。もちろん、国会や枢密院を通すのにマ司令部からの覚書が力となったことは争われない。しかし婦選がぜんぶ外部から与えられたというのは、事実ではない」(P190)
 資金集め、政策提言、有力男性を味方につける戦略、国際潮流を学び必要なものを取り入れつつ、日本に関する誤解は正す毅然とした態度――参政権がない時代に、ここまでやった女性たちがいたことを知ると、今、自分が感じている多少の逆風はどうでもいいと思えるかもしれません。