ぜひ、この本を読んで欲しい。


著者はカリフォルニアに住む2児の父で、専業主夫。ライターとして本や雑誌記事を書く「仕事」もしているけれど、一家の大黒柱は妻であり、自分の主な仕事は「主夫」として育児をすること、とみなしている。


そして、自分と同じような主夫たちにインタビューを重ね、彼らと子どもとの愛着関係の形成過程や、大黒柱である妻との関係を詳細に描き出す。


単なるルポではなく、父親=男性の家庭内の役割について、歴史的な視点や生物学、心理学の研究動向を踏まえて考察するところが面白い。たとえば、アフリカ系アメリカ人の父親が、白人の父親より子どもとの結びつきが強い理由を、奴隷制度にまで遡って検討する。奴隷解放後も残る人種差別ゆえに、黒人男性は片働きでは家族を養うのが難しかったこと、それが、黒人女性の労働参加を促したという話。

父親にも3歳児神話


研究結果の紹介で特に興味深いのは、イギリスで行われた調査。子どもが3歳になるまでに、父親が育児休業や育児のための勤務時間短縮、柔軟勤務を行わなかった場合、後々子どもの行動に問題が見られることが多いという。いわゆる3歳児神話の父親版といえる調査結果である。このように、様々な研究データを提示しながら、著者は父親の育児参加が子どもの成長発達に【マイナスの影響を与えない】ことを指摘していく。


父親の育児参加が「プラスである」というならともかく、「マイナスではない」証拠を山ほど提示するのは、保守派に対抗するためだ。性別役割分担を「自然なもの」として、父親の育児参加を忌避する言説は、いずこも同じ。アメリカではそれが宗教右翼と結びついている。随所で引用される保守派の主張を読むと「ああ、こういう発想は日本だけではないのだ」と思う。発想が驚くほど似ている。

 保守エリートが言葉を失った瞬間


本書の後半部には痛快なエピソードがある。保守層エリートが主張するような“理想の男性片働き家庭”は、同じ保守でも中間層以下には経済的に実現不可能。保守系著名人がホストを務めるラジオ番組に、彼のファンである中間層の父親が電話をかけてくる。この父親は料理をするし、2人の息子たちはクッキーを焼くという。固定的な性別役割分担が崩壊しつつある現実を聞かされて、保守系著名人はラジオ番組の中で呆然として言葉を失う様を見せる


要するに、変化を起こすのは思想ではなく経済だ。私も2006年に、本書にも登場するカンザス州の専業主夫会議を取材したが、そこに集まった主夫たちは口を揃えて「妻の方が自分より収入が多いから、自分が家庭に入った」と話してくれた。当時滞在していたミシガン州でインタビューした主夫は、普通に保守的な男性で「アメリカ人だって本当は従順な女が好きなのさ。でもそういう女がいないだけ(笑)」と本音を吐露してくれた。彼が家庭に入った理由も、妻の方が収入が多いためだった。

同性カップルについても考察


男性にも育児はできる、ということなら、類書はあまたあるだろう。本書の記述がもう一歩「深い」のは、同性婚カップルの育児について厚くページを割いているためだ。同性カップルにおいて、主に育児を担う側とそうでない側の心理状態の違いなどを描写することで、父親/母親という違いだけでなく、性別の違いがどこまで本質的なものなのか、考える手がかりを与えてくれる。


もはや一部の父親にとっては大きな喜びを伴う「仕事」であり「責任」になった育児。オムツ交換台が男性トイレになくてがっかりした経験がある人。「よく手伝いますね」と言われて「手伝いじゃないから!」と怒りを抑えたことがある人には、この本はとてもお薦めです。