昨夜は久々に宿題がなかったのでいつも行っている本屋に詩の朗読を聴きに行った。

新しく詩集を出版する人がプロモーションのために講演するんだろう、と考えていたのだが、実際はちょっと違っていた。集まっていたのは私を除くと7〜8人程度と少なく、全員が自作の詩を順に朗読していた。創作の趣旨を簡単に説明し、抑揚をつけてテンポよく読む。私が理解できるのはせいぜい2割程度だが、歌を聴いているようで悪くない。

大きな書店の2Fにある空きスペース。時々、買い物客が足を止めて聴いている。この人たちは一体何だろうと思ってたずねてみたら、地元の詩愛好家の集まりだった。クルマで5〜10分圏内に住んでいるようだ。雰囲気は日本の句会に近いが、違うのは講評したり点をつけたりせずに、読みっぱなしということ。書店としては、地域に向けた社会貢献のような意味合いで場所を貸しているのだろう。

参加者の1人は12年前に3年間京都に住んでいたそうで、私が日本人だと知ると日本語で自己紹介をしてくれた。比叡山で2週間、僧侶と共に過ごしたというので、お経も少しは知っているはずと「私の名前は『南無妙法蓮華経』の一部と同じなんですよ」と話したら「創価学会か?」とたずねられてちょっと驚く。「英訳したらLotusだ」と答えると、彼の詩の中で「Lotus」が登場する一篇を見せてくれた。

朗読会が終わった後、参加者の1人と店内のカフェでお茶を飲みながら30分ほど話をした。言葉に訛りがあったのでどこから来たのか尋ねたら、イラン出身の精神科医で、革命前にアメリカに来たという。今から25年以上前のことだ。

こういう風に個人的に話を聞くシチュエーションになると、政治的な趣向なども知りたくなる。自然な感じで尋ねるには本や新聞の感想を聞く形を取るのが有効---と以前Jamesに教えてもらったのを生かして”Reading Lolita in Tehran” をどう思うか聞いてみた。私が読んだ唯一のイランに関する本だ。著者のAzar Nafisi氏はイラン人女性の英文学者。本はイスラム革命後のイランで女性や知識人に対する抑圧が増す様子を描いたもので、関係者の安全のため登場人物が匿名になっているが基本的にはノンフィクションと言っていい。革命後は西欧の文学は退廃的だという理由で読むことが禁じられた。著者はキャンパス内でヒジャブ(黒い布)を被っていないことなどを理由にテヘラン大学での職を追われ、自宅で数人の少女相手に「隠れ学校」を開いていた。当局に目をつけられて10年以上国外に出られなかったが、現在は米ジョンズ・ホプキンス大学にいる http://dialogueproject.sais-jhu.edu/anafisi.php?SMSESSION=NO

女性や西洋型知識人が主張する表現の自由と、伝統的を重んじる宗教国家の価値観のどちらを重んじるか。そもそもこういう問いの立て方自体が間違っているのか。この種の本について感想を尋ねると、相手の考えがシンプルな形で理解できることが多い。ちなみにJamesは「著者はネオコン政治家と仲がいいから、この本を読む気がしない」と言っていた。確かに「保守的なイスラム教国家が女性知識人の権利を侵害している。民主主義を守るアメリカは彼女のような知識人の味方だ」というプロパガンダにぴったりの内容である。

私が話を聞いたイラン出身の医師は本の内容に「大体賛成」だという。アメリカに馴染んで四半世紀を暮らし、市民権を得ているの人の意見としてはなるほど、うなずける。一方で現在のアメリカには不満も感じているようで、ブッシュ大統領の支持率の数字を出しつつ「アメリカ人の大半は現政権を支持していない」と言っていたから、彼もやっぱりリベラルだ。

彼の話で面白かったのはイランでは人口抑制政策がとられているために、コンドームが一大産業になっているということ。道には「痛くない避妊」と書いたコンドームの宣伝が目につくという。後で調べてみたらこんな記事が見つかった。 http://www.ecology.or.jp/wwn/0205.html 

国家をあげて出生率を下げようとし、効果があらわれているようだ。独裁国家では人口政策が有効だとするなら、政府があれこれ言っても状況が変わらない日本は、色々問題はあるけれどやっぱり民主的だなと思う。