金曜の夜から火曜の朝まで、ペンシルバニア州中央部にあるランカスター(Lancaster)という街に滞在している。


土曜と月曜のイベントで日本女性の現状や近年の変化について話すためだ。キャンパスに隣接した素敵なゲストハウス(写真)に泊めていただいた。


夕食は私を招待して下さったジュディさんの夫であるマイケルさんや、彼らの友人夫婦と共にした。最初は私の研究テーマである夫婦の家事分担について、その後は宗教や政治の話に移っていく。これらの話題はパーティーではタブーとされていると聞くが、実は一番面白い。同席している相手の嗜好や許容範囲の広さを確かめながら、つたない英語で自分の意見を述べるのは骨が折れるけれど。


「8カ月住んでみて、アメリカをどう思う?」と尋ねられることも多い。「知らない人同士でも笑顔で挨拶しあうのがいい」と無難な答えをした後で、私が接することができるのは「アメリカ人の半分」だと思う、と話す。私のような非西欧諸国出身の外国人に興味を持つのは、たいてい、高等教育を受けて知識集約型の仕事に就くリベラルなアメリカ人だ。「あなたたちと話していると、なぜ、ブッシュが大統領になれたのか不思議に感じる」と答える。


リベラル知識人の反応は二通りに分かれる。ひとつは「私も信じられないわ!」と反応する人。彼・彼女らは保守派が宗教右翼を上手く動員して先の大統領選挙を乗っ取り、イラクなどを爆撃していると考える。宗教右翼に属する親戚の話を面白おかしく話してもくれる。そして、次の選挙ではオバマ候補が勝つ見込みがあると信じている。前向きで情熱的なリベラルだ。


もうひとつの反応は、諦めに似た冷静なものだ。ある男性は「アメリカは保守的な国なんだよ」と繰り返す。彼の知人の中に「進化論は正しくない」と主張し裁判まで起こす人がいるそうだ。アメリカには知識人嫌いの傾向が蔓延していること、南部諸州の保守化は南北戦争まで遡ることなどを丁寧に説明してくれた。


彼は大学教授で、マンハッタン計画に加わった科学者たちの思想について研究している。原爆投下に話が及ぶと、彼も彼の妻も「科学者たちは良心の呵責を感じるべきだ」と意見が一致していた。日本人からすれば当然だが、これはアメリカでは少数派だろう。私はまず、スタンフォード卒の友人が原爆投下について全く知らなかったので驚いたと話した。その後「戦争を終結させるために原爆投下は必要だった」とアメリカ政府は言うが、それは詭弁だと続けた。ドイツには落とさず日本に落としたのは我々が黄色人種だからだろう、要するに人種差別だと話すと2人ともうなずいていた。


本音を言えば、原爆投下は「人道に対する罪」だと思う。親切なアメリカ人相手にそこまで言うのは気が引けたが、この種の話題でどこまで自分の意見を言えるか試す良い機会だった。