答えはもちろん、ノーである。


私の研究テーマ「既婚男性の家事育児時間」に限っていえば、アメリカ男性の方が日本男性よりリベラルだ。統計・文献調査・インタビュー結果ともに前者の方が家庭参加度合いは高いし妻のキャリアをサポートする人が多い。


ただ、これはアメリカ男性の一側面にすぎない。研究対象を一歩離れると信じがたいほど保守的・・・を通り越して無礼な輩もいる。特に結婚に関する話題ではそれが顕著になる。


私は付き合って15年目になる相手がいるが結婚はしていない。親しい友人に尋ねられたら理由を話す。仕事上の知り合いにも話の流れで必要なら、話す。それほど親しくつきあわないであろう人、話しても理解を得られそうにない人には面倒だから話さない。「結婚しているか」と尋ねられたら「はあ」とお茶を濁しておく。


日本語では「未婚」「既婚」いずれにも当てはまらない、自分の現状を鑑みると、何となく居心地が悪い思いをすることがあった。同居していないから「事実婚」も何か違う。夫婦別姓にも複雑な感覚を抱いていた(反対する人の保守性には違和感を覚えるが、積極的に賛成する気にもなれない)。連れ合いを「夫」と呼ぶのは違和感があるが、いい年をして「彼氏」もヘンだ。


だからアメリカに来て「SO(Significant Other)」という言葉を知った時は、胸のつかえがおりた気がした。親しい友人がたまたま同性愛だったこともあり「さすが、アメリカ。多様性の国」と思っていたのだが。


話はそんなに簡単ではなかった。「Are you married?」という信じられないほど直接的な質問を、時には初対面でもしてくる人が結構いるのだ。「そんなこと聞かれる筋合いはない」と思いつつ、空気の読めない相手と議論しても時間の無駄なので「Yes」と答える。嫌なら近づかなければいいが、生活上、必要なサービスを提供する人々なので仕方ない。質問してくる本人が未婚だったりするから、人のことより自分のことを心配しろよ、と思いつつ聞き流す。ちなみに、日本で同じ職業に携わる人からこんなことを聞かれたことは一度もない。


中でも一番腹が立ったのはある学生で"I think we have to potential to become a couple. I'd like to know how you feel."というメッセージに対して、「長期間付き合っている相手がいるから、それはない」と答えたところ、それまで普通に本の話などをしていたのに、逆ギレして私に説教をし始めたのだ。Facebookというmixiアメリカ版のようなサイト上での出来事である。ここはプロフィール欄が実名である上、交際相手の有無を記入する。日本では考えられないほどプライバシー丸出しだ。


私はプロフィール欄に"In a Relationship"と書いてあるので、上記のようなメッセージを送ってくる方の倫理観こそ問題だ。「結婚したい人はすればいいし、他人の価値観は尊重する。でも私たちの関係を他人にjudgeされたくない」と怒ったら少し悪そうにしたが、いずれにせよ失礼きわまりない。それなりに有名な大学で学ぶ学生にしてこれだから、高学歴アメリカ人男性が皆、物分りがいいとかリベラルというわけではない。(ミシガンの学生ではない。念のため)


こうした出来事を通じて、あらためてコミュニケーションのギャップを思い知った。私は日本人女性としては、かなり性格がきつい方だ。年をとってきたので、少しは穏やかにならねばと思い、最近は「笑って聞き流す術」を身につけた(つもりだ)。「結婚した方がいいよ」という有難迷惑なアドバイスを受けたら「まあ、色々あるんですよー」と受け流すように心がけている。


だからアメリカ男性の結婚に関する失礼な質問を聞き流してきたが、失敗だった。遅きに失するが、ある種の人々に対しては、何と思われようが「あなたに関係ない。それは失礼だ」と言うべきだったのだ。


ちなみに日本で仕事をしていて、この種話題でここまで腹が立ったことはない。私が出会った平均的な東京のビジネスマンは礼儀正しい人々だったのだろう。

(本当はもっと前向きな話題もあるので、また後で書く予定)