Ann Arborでは毎年、7月下旬にアート・フェアが開かれており、この期間だけは東京並の人出(写真)になる。


今年は18日〜21日までだった。絵画、写真、彫刻、木工、陶芸、アクセサリーを作る人たちが全米から集まって出店する。その数、数百余り。キャンパス内はもとより、数百m離れたレストランの並ぶメインストリートに至るまで、見渡す限り店。街中の駐車場が、出店達が乗ってきたキャンピングカーで埋まる。


私のオフィスの目の前の通りも例外ではない。ここは、NGOのブースが並ぶ。その主張は多種多様だ。ACLUやアムネスティアル・ゴア支持者に動物虐待反対、引退したレース用のグレイハウンド犬引き取り、環境保護から社会主義革命を唱える団体まである。宗教団体もいろいろ。堕胎禁止を訴える保守系キリスト教信者から無神論者まで。


いちばん共感したのは、きちんとした性教育の推進を訴える若い女性のブース。彼女によると現在、公的資金が使われているのは「禁欲推進」プログラムだけだという。禁欲そのものはよいとして、問題は婚前交渉の禁止のみでは非現実的であること。堕胎が良いこととは決して言えないが「もし、友人が望まない妊娠をしたらと考えてほしい」「きちんとした避妊方法を教えるべき」というこの団体の主張は真っ当すぎる。いくつかあるパンフレットには「キリスト教の各宗派も、この動きに賛同しています」とあった。保守系キリスト教徒の批判をかわす目的だろう。


もうひとつ面白かったのが、Ahmadiyya Muslim Community というイスラム教徒のおじさんたち。"Love For All. Hatred For None!"という、これまたもっともなスローガンを掲げ、過激派イスラム教徒を批判する。話し好きな人たちで「以前、ディアボーンのアラブ系アメリカ人モスクに行ったのですが」と話すと「彼らは僕らのことを嫌いなんだよ」と笑顔で言う。「彼らはジハードを肯定し、僕らはそれをいけないことだと思うから」と説明してくれた。仏教についても少し知っているようだし、こちらの色々な質問に正面から答えようとしていて好感を持った。


保守系キリスト教徒の論理展開も上手い。堕胎禁止を訴える彼らが「レイプ被害者にも堕胎を認めないのはおかしい」という主張に反論するためもってきたのは、何とそうした状況で生まれてきた子供の言い分である。その人物は生後すぐ里子に出され、成長した後に自分の出自を知って衝撃を受ける。「堕胎と聞くと自分のことを言われているようで辛い」というこの人の言葉は、それなりの説得力がある。


わずか数十メートルの間に様々な主張を掲げる人が一同に会している様は圧巻だ。政治・社会・経済・宗教から動物問題、文化まで。保守・革新の2項目だけでは割り切れない議論の軸があることを感じた。アメリカ人がいかに大きな声で「モノを言う」のか、目の当たりにできる。