ミシガンへ来て約2カ月、本や論文を読んだり人に話を聞いて回ったりしているうちに、エラい人ほどフランクなように感じられてきました。

所属先のThe Center for the Education Women の人は言ってみれば"身内"なので別とすると、大学内にいる面識のないその他大勢の中では、地位が高い人たちは総じて親切。逆に「女とかマイノリティの味方」みたいなお題目を掲げている人や団体はよそ者には意外と冷たい。言ってることとやってることが違うじゃん、と思うことが結構あります。

意外だったのは、tenure(テニュア:終身在職権)を持っている白人男性教授が総じていい人で即レスでアポもすぐに取れるのに対して、研究テーマに女とかマイノリティーを掲げている人が結構、のれんに腕押しであること。前者はいわゆる一流の学者なのに敷居が低くて1、2度やり取りすると「僕のことは××(ファーストネーム)って呼んでね」などと言い、話してみると本気で弱者(例えば国内外の労働者)の待遇改善について考えていることが分かります。一方、後者にとってはgender(社会的な性差)もpoverty(貧困)も論文のネタにすぎないようで、話を聞いているとちょっとイライラしてきます。研究費、無駄じゃない? と。

アメリカの学者はとても厳しい競争社会で生きていて、テニュアを取るまでは論文をたくさん書いて学会で顔を売って、少しでもランキングと待遇が上の大学に職を得ようと必死です。だから表向きは「マイノリティーが云々」ということを仕事上の課題にしていても、本当の関心は「もっと格好いい肩書きが欲しい」だったりします。人は属性や表面的なポーズで判断できないなとあらためて思うこの頃です。