アメリカの大学教授はリッチだ。

今夜は連れ合いが経済学部の教授が主催するライブに招かれていたので、一緒に行った。
演奏は教授や博士課程の学生などで編成されたロックバンド、観客は同様に教授や学生、その家族など。ボーカルの女性の声に迫力があり、ビールを片手に聴いているとリラックスできる週末という感じでなかなか楽しかった。

特筆すべきは、会場がドラマーを務めた教授の自宅地下室であったこと。バンドメンバー7人の演奏スペースに加え、観客30人余りがゆったり座れる広さである。1Fには喫煙者が集まれる風通しの良いパティオ、20人程度が立ち話できるリビングルーム、客のコートを置けるベッドルーム・・・。

豊かな生活ももっともで、この日に演奏したバンドメンバーのうち、tenure(テニュア:終身在職権)を持つ教授の収入はかなり高い。ボーカルのリンダ・テッサー教授は1800万円、ベースのジョン・ディナルド教授は1700万円、そしてこの家の主人でドラムのゲーリー・ソロン教授は2200万円。しかもこれは9カ月分の雇用契約であり、残りの3カ月は自分の好きなように使える。

まさに"Winner-Take-All(勝者が全部持っていく)" 世界だと思う。私がミシガンで会った教授の多くは、配偶者もまたテニュアを持つ教授だった。Ann Arbor の公立学校はこうしたカップルの子供が通うため、教育レベルが高いことで知られている。アメリカの一流大学教授は、社会的地位はもちろんのこと経済的地位も高く、ワーク・ライフ・バランスも確保できる。要するに大学教授は特権階級なのだ。

これは日本にはない種類の豊かさだと思う。日本の大学教授は社会的地位は高いが収入はこんなに高くはない。企業で出世の階段を上っていけば、金銭的には豊かになれるが人生を楽しむ余裕はなくなる。高収入の外資ビジネスパーソンにはテニュアはない。

アメリカのアカデミアに生きる勝ち組たちを見ていると、いいなあと思うと同時にちょっと不公平ではないかと感じる。昨夜、0時過ぎにスーパーマーケットで食料品を買った時、レジを打ってくれたのは真面目そうな白人男性だった。少し話した時の受け答えがしっかりしていたので、元はホワイトカラーの管理職だったのではと推測した。

ところで、ミシガン大学は4万人近い全教職員の報酬を実名入りで公開している。上記の教授たちの年収も簡単に見ることができた。彼らの特権は、こうしたtransparency(透明性)とaccountability(説明責任)によって辛うじて正当化されていると言えそうだ。