一瞬、耳を疑った。


「まだいますよ」。


少し前、ある企業に行った時のこと。面会相手が部下を紹介してくれた。部下は私と年が近かったので、その企業で働いている知人の名を挙げて尋ねてみた。「もしかしたら、同期入社ではないですか。学生時代の友人なんです」。それに対する、彼の答えである。


「まだ」とはどういう意味か聞くまでもない。私の知人が女であり、子どもがいること。それでも「まだ、辞めずに会社にいる」から「まだ」と言うのだ。日本企業の中でも圧倒的な男社会であるその業界で、10年以上も残っている女性だから「まだ」という表現を使うのである。


10年前ならともかく、目の前にいる相手が「女」の「記者」である場合、大抵のビジネスマンは心の奥にある差別心を隠そうとする。それがマナーだからだ。たとえ家のことは妻に任せきりの亭主関白でも、デスクに戻れば部下を女の子扱いしても、外面は繕おうとする。


しかし、彼はそれさえしなかった。その口調と続く会話から、彼が私の知人だけでなく、同僚の女性全般を軽んじていることが伝わってきた。働く女性が増え、出産後、復帰する人が増え、それを歓迎する職場が増えてもなお、差別的な職場は存在する。それは、こういう人たちが作っているのだなと思った。


しばらく経って、人づてに、知人が大きなプロジェクトで成功したと聞いた。同業他社に比べて際立った特色があり顧客ニーズによく応えた製品を開発したのだ。そこには、働く親だからこそ、気づいたであろう視点がふんだんに盛り込まれていた。


本当に嬉しかった。家族以外の仕事上の達成がこんなに嬉しかったのは久しぶりだ。ふと、あの男性社員の差別的な言葉を思い出し、彼女は戦っているんだなと感じた。保育園や子どもについて男性の同僚や上司とも気兼ねなく話ができる私なんかに比べて、ずっとずっときつい戦いを。


少し経ったある夜、〆切時期で帰宅が23時を過ぎてしまった。すると眠っていた子どもが起きてきて「まま、おかえり」「まま、かわいい」と言ってくれた。とても愛しくてもっと一緒にいたい、いっそ会社は…という気持ちが、心をよぎった。


こんな時にいつも励まされるのは米国留学中に会ったワーキングマザーの言葉だ。彼女もまた、私の知人のように差別的な職場環境で辛い思いをしてきた。「なぜ辞めなかったの?」と尋ねるとこう答えた。


"If I quit, they win. I lose."