同じ話が何度も蒸し返されるので、まとめておこうと思いました。


10年ほど前、ビジネス誌の記者をしてた時、新卒採用動向について取材しました。大企業の人事担当からよく聞いたのは「入社試験では、ペーパーも面接も女性の方が優秀。そのまま採用すると半分以上が女性になっちゃうので、男性に高下駄はかせてます」という話。


そんな本音を言っちゃっていいのかなーと思いつつ、聞いていた。


様相が変わったのは2000年代始め。グローバルに事業を展開する、実力主義的な志向が強い企業でこんな話を聞くようになった。「来年の新入社員は男女半々です」。確か「即戦力」とやらが流行った頃。「叩けば伸びるかもしれない男子」を時間かけて育てる余裕がなくなってきたのだ。


それでも、まだよく聞く。「試験結果を上から並べたら、7割女性」「はっきり言って、上から順に取ったら全部、女性になっちゃうんだよ」…。実際の新入社員の構成はそんな風になっていないことは、ご存知の通り。


こういう風潮を指して「女性は出産・育児で辞める可能性が高いから、仕方ない」と言う人がいます。「企業は合理的に考えて、女性を採用しないんだ」と鬼の首を取ったかのように主張し続ける人は、これを読んでほしい。


そういう考え方を「統計的差別」と呼びます。統計的差別が経済的に非合理である、ということについて、シカゴ大学の山口一男教授がRIETI(経済産業研究所)のペーパーで書いてます。


「男女の賃金格差解消への道筋:統計的差別に関する企業の経済非合理性について」]


この種の話題になると、「差別は合理的」と主張することが「頭の良さの証明」であると勘違いしてる保守な人が、いつも同じことを言う。取りあえず、これを読んでから考え直してほしいと思う。山口先生がどのくらい頭がいい人かは、ここを参照。


続けて、もっと泥臭い現場の話をしたい。出産・育児をしないから、という理由で「女性より優秀でない男性」を優先的に採用することは、本当に企業にとっておトクなのか? 女は辞めちゃうから、訓練コストが無駄になる、だから女を採るのは損というけど、何か忘れていないか、ということ。


そう。「できない男性を訓練するコスト」。いちばん迷惑を被るのは顧客です。もし「できる女性」が採用されていたら得られたであろう、モノやサービスへの満足度が下がっちゃうわけだから。


「いやいや、できない男性は採用した後、ちゃんと教育してから顧客対応させるから大丈夫」って言うかもしれない。でも、仕事ができない人には、できる人と比べて多くの教育が必要。余分な部分は「無駄」ではないの?


ところで「できない新人・若手」を教育訓練するためのコストをいちばん払ってるのは、オジサン達だと思います。ふつうに指示を出しても分からない、仕事への向き合い方に根本的に問題がある人に対するメンタリング(説教と言ってもいい)は、大抵、夜行われます。昼間は管理職も色々忙しい。


「ちょっと、今晩、あいてる?」と言って飲みに連れ出す。「ねえ、○○はどうして、この会社に入ったの?」「学生の時は何がしたかったの?」なんてことを聞き出す。で、「俺が新人の頃もこういう失敗があってさ」と慰めたり「この部署はお前が一人前になって支えてもらわなきゃ」とおだてたり。これは残業時間にカウントされない。場合によっては飲み会も上司の自腹だ。


要するに、できない男の子達を一人前にするために、中高年管理職男性たちは、夜ごと、すごい時間をかけてシャドウワークをしてきた。もちろん、それが可能にしたのは、彼らの妻たちが家事育児を一手に引き受けてシャドウワークを担ってきたからに他ならないわけですが。


飲ミュニケーションについては、中高年男性を批判するかたちで議論されることが多いけれど、私は彼らの行為はすごいボランティア精神というか、無償の愛に支えられてる面が大きいと思う。誰に対する愛かといえば、職場や会社。その結果、家族からの愛を失うこともあるというのに。


でも、「オジサンたちの無償の愛」という資源は、枯渇しつつある。


今や50代なら親の介護が気になる。老親の様子がちょっとおかしいと気づいて、介護サービスのアレンジや施設探しに奔走する人が増えてきた。彼らは愚痴を言わずに、黙々と動いている。できない部下より自分の親を優先したいはず。


40代なら教育だ。妻が働いていようがいまいが、子どもの受験対応に熱心な父親は多い。入試問題の比較検討をしたり、中には自作の予想問題を作る父親だっている。部下を「グローバル人材」とやらに育てるより、自分の子どもを「グローバル人材」にすることの方に真剣になるのは当然だと思う。


30代ならまだ小さな子どもがいるだろう。共働きも多い世代だから、夜は自宅の家事育児で忙しい。彼らはできない部下より自分の子どもとか、妻を優先したいはず。


…という具合に考えていくと、かつてのように、中高年男性の善意とボランティア精神でもって、できない若手を時間外にインフォーマルに「育てさせる」のは難しい。


だから考えるべきは、その企業なり組織が「入社試験の結果だけ見たら採用してたはずの女性」と「高下駄履かせて入れた男性」の能力差であり、育児支援などで前者を引き留めるコストと研修などで後者を育てるコスト、どっちが高いかということだ。


そういうことを考えず「女性は子どもを産むから男性優先で当然」というのは、まあ、おめでたいよなと。