第一子出産以来、ついてまわったのは二級労働者のレッテルだった。


法律を上回る育児支援制度を持つ企業で正社員として働き、無事に保育園も見つかり、必要な時はベビーシッターを頼める経済的余裕と「育児は共同責任であり、人生の喜び」と考えるパートナーを持っていた私は、俗に言う「恵まれた女性」だろう。


産後の体調も良く子どもも元気。この上、何を望むのか、贅沢言ってるんじゃない、と思われるのは百も承知である。


3年半前、職場復帰してから、ずっと嫌だな…と思ってきたこと。辞めたいと感じてきた理由。それは、世間でよく言われる「働く女性の悩み」とはちょっと違っていた。私が抱えてきたもやもやは、待機児童問題でも、育児支援制度の不足でもなく、要するに「二級労働者扱いが嫌」ということだった。


別に、面と向かって何かを言われたわけではない。陰であれこれ言う人のことは、10年も働いていれば気にしない程度の図太さが身についていた。


それでもなお、日々、もやもやしたのは、休業した人、夜遅くまで職場にいない人が「二級労働者」扱いを受けることに対してだ。それは、復帰初日から始まった。職場の上司や同僚が予想以上に親切だったことは、もやもや感に拍車をかける。


ただでさえ迷惑をかけているから、仕事の進め方に異論があっても、反対を唱えることはできない。本当はこうした方がいい、と思っていても、議論が長引いてお迎えに行けないと困るから、言えない。子どもを自分で迎えに行き、夕食を作って一緒に食べようと決めた時に生じるのは、毎日毎日少しずつ、不完全燃焼となった仕事に対する心残りと、そんな風にしか働けない自分が、何か言われているのではないか、という憶測と。


色々あって、そういうことは気にしない、と決めてからは楽になり、2人目を産んでまた職場に戻ろうとしている。理想的な労働者として認められることとは、違うものを自分が吟味して選択し、それに伴うデメリットを受け入れる覚悟ができるまでに3年かかった。birth clock が間に合ったのは、幸運以外の何物でもない。


時折、出産を控えた女性、これから子どもを持ちたいと思っている女性たちの話を聞く。「もっとキャリアを積みたい」「キャリアと子ども、どちらを優先すべきか」。私より5歳、10歳若い彼女たちの切実な思いに対して言えるのは「たとえ、多少、仕事を犠牲にするとしても、私は子どものいる人生を選んでよかったです」ということだけだ。


子どもより仕事を、キャリアを選んだのは「自己責任」とは、私はとても言えない。迷っている女性たちの多くは、高学歴で男性と同等の仕事に就いている。彼女たちの収入は、片働きで家族を養える程度に多い。そういう、男性並みの成功の可能性が見える地平に立った時、迷わずにすむ、と言える人は、おそらく、そういう場所に立ったことがないのだろう。


彼女たちが恐れているのは、数年前の私と同じで「長時間働けない人が貼られる二級労働者のレッテル」だ。今の私は気にしていないけれど、そこまでくるのは結構、しんどい。


だから、2児の母である同僚の昇進を知った時は、本当に本当に嬉しかった。こういうフェアな人事の積み重ねこそ、子持ち女性のモチベーションアップに効くのだ。制度に屋上屋を重ねることではなく。