先週末、原一男監督の映画を見た。


ミシガン大学の日本センター主催で、金曜は『極私的エロス』、土曜は『ゆきゆきて、神軍』を上映。土曜は映画の前に、原監督とマイケル・ムーアの対談(写真)もあった。『ロジャー&ミー』製作中のムーア監督が『ゆきゆきて〜』を見て絶賛したことは知られている。異色ドキュメンタリー作家同士、お互いの作品をどう評価しているのか。対談の焦点はこの点にあったと思う。


日本人の私にはとても興味深い対談だった。しかし、アメリカ人の観客がどこまで理解したかは怪しい。両監督のコミュニケーションスタイルがあまりに異なっていたためだ。


ムーア監督の方は作品から想像できる通りの話ぶり。冗談や皮肉、政治的アジテーションを交え客席を沸かせた。一方、原監督はどんな質問にも明快な答えを避けた。一言では表せない複雑な感情を曖昧な表現で説明しようと試みていた。通訳は非常に上手な方だったが、それでも原監督の真意を伝えるのは難しかったようだ。


対談終了後の休憩時間に、アメリカ人の友人に感想を尋ねてみると「あの監督はdepressionなんだね・・・」という。これは「自分の作品を海外で広く上映したいと思うか。監督としての成功をどう考えるか」という質問に対する原監督のコメントに対する感想だ。


監督は、自分が幸せになれるとは思わない。自分の内面には危険な衝動があるからだ、といった答えをした。こういう物言いはアメリカ人には抑鬱的と映るようだ。この友人は日本在住経験があり、日本関連の本もよく読んでいる。いわゆる子供っぽいアメリカ人学生とは全然違うが、そういう人にすら、原監督の話し振りは分かりにくかったようだ。


これが文化差なんだなと感じた。日本では例えば「最近どうですか?」と尋ねられたら「すごくうまくいっています」と答えるより「まあまあですね」と言っておいた方がしっくりくる。「その服、いいね」と褒められたら「ありがとう」と言うより「意外と安かったんですよ」くらいの方が自然だ。一方、アメリカ人に"I like your dress."と褒められたら、ストレートに"Thank you!"と答えるのがいい。こちらへ来て数ヶ月経ち、適切な表現のあり方の差を何となく感じていたが、この対談にはそういう文化の違いが出ていたと思う。


表現方法の違いからか、アメリカ人には映画の趣旨が間違って捉えられたこともあった。原監督の元妻を描いた『極私的エロス』は観客の一部に「反フェミニスト的」と評されたが、全くの誤解である。


映画に登場する元妻は行動派のフェミニスト。監督を捨て、子連れで沖縄に渡ってしまう。一緒に暮らし始めた相手は女性だ。2番目の子供は駐日米兵との間にできたものだ。映画にはこの女性と監督の現在の妻(映画の共同製作者でもある)の出産シーンが出てきて驚かされる。これが反フェミ映画であるわけはなく、むしろ「女の自立」云々と理屈をこねないところが、フェミを超越していると私には映ったのだが。