映画「ドライブ・マイ・カー」感想(内容にふれています)

  映画「ドライブ・マイ・カー」見てきました。アメリカでアカデミー賞・国際長編映画賞を受賞したため、週末の映画館は満席です。

 

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 原作の村上春樹短編小説「女のいない男たち」を読んでいたのと、村上作品はほとんど読んでいるため、どんな具合に映像化したのか興味があって見ました。このつづきはあくまでも、私個人の感想です。

 映画は3時間近くと長く、最初の3分の1は退屈なポルノに見えてしまいました。とにかくセックスシーンと性描写発言が多いのは村上春樹っぽいと言えますが、ちょっと、もう、いいかな…と思って帰りかけました。ただ、中盤から面白くなりました。私の感覚では。

 まずは原作ポリスの観点から内容を把握してみます。映画タイトルは村上春樹の短編集「女のいない男たち」に収録されている同名小説からきています。小説では女優の妻が映画だと脚本家になっている他は、だいたい原作通り。

 ただ、表題作以外の小説も混ぜ込んであります。例えば性行為の後、女性が物語を話す場面は「シエラザード」、主人公の男性がが予定より早く出張から帰宅して妻が他の男とセックスしているシーンを目撃する下りは「木野」。いずれも「女のいない~」に収録されている短編小説です。

 その他、村上読者が気になりそうなところでは、文芸誌掲載時にクレームがついて単行本で変更されたタバコのポイ捨てシーンは映画でも描かれていません。ドライバーの女性は携帯用灰皿に吸い殻をしまいます。

 原作と大きく違うのは主人公とドライバーのみさきが密度の高い交流をするところです。通常、村上春樹の小説は因果律を離れたところにある不思議な出来事を描いており、時空を超えます。この特徴を知っていると、映画は「○○だから××になった」という分かりやすい因果関係を描いているように思えてちょっと陳腐かも、と思いました。

 映画の良かったところは、何より劇中劇で「ワーニャ伯父さん」を思いきり全面に出した独自の脚色でしょう(私の好みです)。日本語、北京語、韓国語とおそらくロシア語、さらに韓国語手話の多言語で、アジアの俳優が集まって演じるという設定になっています。主人公は演出を手掛け、英語で指示を出します。

 多言語の演劇祭という分かりやすい仕掛けは海外映画祭向けだと思いました。分かりやすいのです。そして、この部分は言語+手話と重層構造になっていて見応えがある。特に、韓国人女性が手話で演じる場面は、この俳優さんの雰囲気もあり、良いシーンを見せていただいた感じです。

 そして「言葉」でコミュニケーションしない韓国人夫妻(夫は演劇祭の事務方です)の意思疎通が実はよく出来ていることを示す食事シーン。これは、言葉で繊細なコミュニケーションを取り、セックスも頻繁にしているけれど相手を理解できなかった主人公夫婦と対照的でした。

 ドライバーは20代女性の「みさき」。この俳優さんも雰囲気があって良かったです。北海道の片田舎で水商売をしている母親から激しい暴力を受けて育った設定で、いわゆる不幸な生い立ちですが、それを恨みもせず自分を憐みもせず、ひとりで立っている感じがあります。