このところ、日本でもよく目にするようになってきた「ダイバーシティ」という単語。


当初は「女性活用」の言い換えにすぎなかったが「多様性を生かす」とか「外国人」とか少しイメージが広がってきた。


調査リポートを書くため、日本のメディア(大手四紙)が「ダイバーシティ」という言葉を使った件数を調べてみた。最初に使ったのは日経新聞で、北京で開催された世界女性会議に関する記事がきっかけだ。それ以前に「ダイバーシティ」といえば生物や環境に関する話題で、今のように女性がらみではない。その後しばらく使われなくなり、最近、2、3年で急速に使用頻度が増えた。要するに日本では新しい流行語になっているのだ。


ダイバーシティはもともとアメリカ生まれの考え方だ。企業は多様な消費者のニーズに応えて成長性や利益を追求するために取り入れた。大学も然り。ミシガンでは毎日のように「ダイバーシティダイバーシティ」と言っている。社会的な規範みたいな感じで使われる。日本でいえば「真面目に働く」とか「きちんと努力する」と同じような感じで誰もが認める価値。それがダイバーシティ


別に女性問題に詳しくなくても、まじめな日本人男性なら容易に実践できると思う。以前、勤務先で受けた人権研修で講師(中高年男性)がとても良いことを言っていた。「セクハラ研修をすると『線引きが分からない』という質問をよく受けますが、簡単です。自分の妻や娘にされて嫌なことはしてはいけません」。その通りだ。


これからダイバーシティを推進する日本人は、こんな風に物事をもっとシンプルに考えたらいい。その場にいる一番弱そうな人、または居心地が悪そうな人に気づくこと。そして、その人が発言しやすい雰囲気を作ってあげること。本質はここにある。


私が所属先で楽しく過ごせたのは、同僚のアメリカ人女性たちがダイバーシティの真髄を分かっていたからだ。大学が組織的に取り組む人種問題だけでなく、まだ取り組みの対象になっていないカテゴリの人(たとえば非英語圏出身外国人の私)にも本当に親切にしてくれた。彼女たちはそれぞれ、子育てと仕事の両立に苦労したり、肌の色が理由で差別を感じたり、就職先が限られていたりと大変な時期を過ごしたようだ。自分の経験した痛みをオフィスで唯一の外人である私への配慮に転じたのだ。これは知識でなく感性や人格のなせる技だ。


帰国後に私がやるべきなのは「女だから弱者」というステレオタイプを捨てて、広い意味で他人に配慮すること。「努力しないのはお前が悪い」と傲慢な考え方をしそうになったら、私の下手な英語をいつも笑顔で聞いてくれた同僚を思い出すことにしよう。