シカゴの低所得者住宅で活動する黒人ギャングの生態を描いた本。


特徴は2つある。1つめはアメリカが今も抱える人種・階級問題を浮き彫りにしていること。2つめはギャングと黒人低所得者の経済行動を詳しく調べてあることだ。


著者はコロンビア大学社会学部で教鞭を執る。シカゴ大学社会学部の博士課程在籍中にこの研究を行った。貧困層の調査を志し、質問票を片手に低所得者向け住宅に足を運んだところから全てが始まる。


「あなたは、自分が黒人(Black)で貧しいことについて、どう考えますか?」


この質問に対し、地元ギャングのリーダーは「お前、何て言った?」と聞き返す。"Black"という政治的に正しくない表現が気に障ったのだろうと解釈し、著者はこう言い直す。


「あなたは、自分がアフリカ系アメリカ人(African American)で貧しいことについて、どう考えていますか?」


それに対し、ギャングリーダーは「アフリカ系アメリカ人っていうのは、郊外に住む中産階級のことだ。俺たちは"Nigger"だ」。


絶望的な貧しさの中で生まれ育った彼らにとって、政治的正しさなど何の役にも立たないことが端的に示される印象的なシーンだ。このリーダーは地元の大学にも通ったことがあるインテリ。なぜか著者のことを気に入って自分の縄張りに出入りすることを許し、彼の調査に協力する。本書は6年にわたるフィールドワークを下敷きにしている。


舞台になる低所得者向け集合住宅には約15万人が住んでおり、貧しさが生み出すあらゆる現象が見られる。少年は高校を中退してギャングに入り、最低賃金すれすれの報酬で薬物を売りさばく。仕事は死の危険と隣り合わせだ。少女は10代で妊娠し、女性の多くは父親が分からない子どもを何人も産む。


公式統計では住民のほとんどが失業者という。そんな中、ファストフード店で常勤のアルバイトなどしていれば、安定収入のある人とみなされる。子ども用の食料と引き換えに体を売る母親もざらだ。


やりきれないのは、住民たちが行政を全く信用していないこと。ソーシャルワーカーが訪問すると、母親たちは自分の子どもを他人に預けて隠してしまう。子どもを取り上げられないためである。酔ったり薬でおかしくなった男性に、女・子どもが殴られるのは日常茶飯事。警察も救急車も来ないから、仕返しは知り合いのギャング頼みのリンチとなる。


中産階級出身の著者にとっては、信じられないことばかりだったようだ。彼が周囲から一定の信頼を得て研究への協力を得られたのは、その態度に嘘くささがなかったためだろう。何せジャーナリストもNGOも、質問ばっかりしてさっさと帰って行く偽善者と思われているのだ。また、著者がインド系移民で有色人種であることも奏功したのでは、と感じた。ガラの悪いギャングの若者に、ある時は「アラブ野郎」呼ばわりされ、別の時は「ライバルのヒスパニック系ギャング」と間違えられながらも、6年間にわたり現地に足繁く通った。リーダーからの信頼は特に厚く、ある時は「1日ギャングリーダー」を務めたほどだ。


名門校の大学院生と貧困再生産の輪から抜けられない地元ギャング。この研究がいかに面白くても、両者の溝がすぐに埋められるような政策をつくるのは容易ではない。著者はそれを理解し、安易な同情を廃しつつ誠実に対象に向き合い、法律が許す範囲でギャングの実態に迫った。特に仲良くなったあるギャングメンバーからは、本人が逮捕される直前に薬物取引の収支を記した帳簿をもらう。同じシカゴの経済学部教授のSteven Levittが、数年前に書いた"Freakonomics"で、このギャング帳簿について記していた。2人は共著でいくつも論文を書いているそうだ。


それにしても、こんなに真に迫ったギャング研究を学者にやられてしまって、地元シカゴの記者は面目丸つぶれだったろう。本書のところどころに出てくるジャーナリストの偽善に対する批判は的を射ており、私が地元紙記者だったらやめたくなるかも、と思った。