表紙を見て「またか」と思う人もいるかもしれない。アフリカの内線や紛争については、すでにたくさん報道されている。いずれもひどい話ばかり。殺す。体の一部を切る。強姦。子どもを兵隊にする等々。


この本にもそういった、アフリカのひどい話が描かれている。そしてこの本は、それを終わらせるべく、立ちあがった女性達を率いたリーダーの半生だ。リーマ・ボウイさん、本書執筆時点でまだ30代。


著者は中流家庭出身で、内戦がなければ、普通に大学へ進学し、希望通り、医師になっていただろう。大使館勤務だった父親は、娘がひとかどの人物になることを望んでいた。


著者のリーマさんが立ち上がり、男たちに戦争をやめさせる勇気をもっていたことも、結果的にノーベル平和賞を受賞したこともすごいのだけれど、私が一番心を動かされたのはその部分ではない。それだけだったら、他のあまたある「途上国の偉人伝」と同じだ。


こういう見方はたぶん少数派だろうけれど、本書の真の魅力(つまり他の途上国偉人伝と違う部分)は、リーマさんが自分の家庭の問題を率直に語るところにある。例えば夫から受けた暴力のこと。別れようと思うたびに繰り返した妊娠。言葉の暴力で自己肯定感がほぼなくなった状態で、子どもを叩いてしまうシーン。


印象的だったのは、自分の心を壊したのは夫からの暴力であり、いつ死ぬか分からない戦争よりも、家庭内暴力の方がきつく感じた、ということだ。すぐ隣の建物にいた人が皆殺しにされたり、ほんの少しの食料や物資のために撃ち殺される人がいたことよりも、同居の配偶者から日々ひどい言葉を投げつけられる方が辛かったのだ。


リーマさんは平和を求める活動に専念するため、子ども達を姉に任せて隣国に逃がしている。これによって、彼女はサッカー好きな息子の試合も、子どもの学校行事も一切見られなくなった。家族は彼女の稼ぎで生活しているから、仕事は辞められない。単身赴任のお父さんと同じ状態だ。


本書の後半にはこうした葛藤が繰り返し描かれ、私が一番、心を惹かれたのは実はこの部分だった。


ここ数年、世の中を変えるとか社会問題を解決した人の書いたものを、どこか冷めた気分で眺めていた。「彼/彼女が世直しをしている間、家族は何をしているんだろう」と思うからだ。「やっぱり家庭責任を負わない人しか、世の中をよくすることはできないのだろうか」と。


そしてそのように感じる本には、家族をどこかに置いてきていることへの心残りや不安は描かれていない。世直しに時間を使うあまり、家族を作る時間がなくなることへの疑問にも触れていない。


この本には、それらがたっぷり書かれていた。子ども達を育ててくれたお姉さんが急病で亡くなった直後、著者は子どもが好きな食べ物や使っているお皿すら知らないことに気づく。子ども達から向けられる非難がましい目線。


子ども達にはそれぞれ将来の夢があるが、誰もリーマさんのような平和構築家にはなりたくない。家族で一緒にいられるような仕事をしたいからだ。子ども達は、母親が仕事のために自分たちを置いていったことを知っている。


リーマさんは「平和を作る」という偉業と「自分が望む形での子育て」は両立できなかった、ということを様々な形で描いて見せる。他のどんな本にも書いていなかった率直さ。家庭のミクロな幸せと国家レベルのマクロな幸せを同列にして眺める視線。


活動が成果を結ぶと、世界各国の国際会議に招かれるようになる。彼女は、旅費を節約し姉と子ども達にお土産を買っている。どうしてもやりたい仕事、やらなければいけない仕事をするため、家族と離れなくてはならないこと。これは、世の多くのお父さんが経験していることだ。そして本書には、お父さんたちが語らない「命をかけてやる意義がある仕事」と「家族との充実した時間」を両立することのむずかしさが描かれている。