東大院卒エンジニアの男性が、主夫になった経緯をまとめたノンフィクション。


著者は大手自動車メーカーに勤務していました。第一子出産後に2年間の育児休業を取得。妻は任期付きの仕事で育休を取れなかったという事情から、自分が育休を取りました。育休中に妻の米国赴任が決まり、1年間は家族3人で米国暮らしを経験。著者のみ帰国して数カ月の単身赴任生活を送った後「やはり家族は一緒に暮らしたい」と考えて退職、米国に渡ります。現在は家族で日本に住み、2児の父となり、フリーランスで翻訳やライターの仕事をしています。


全体を通じて感じるのは、著者が心から子どもを愛していること。子どもと一緒に楽しく暮らすことこそが著者の最優先事項であることです。ですから育児休業取得や退職の決断が実に自然。キャリアへの迷いといったようなものは、ほとんど描かれていません。これは、他のイクメン関連本と大きく違うところだと思います。


本書のお勧めポイントは次の通りです。

論より実。何より子どもとの生活が大事

育児休業を取った男性のほとんどが経験する、ママ友との付き合い(の難しさ)を、著者も経験しています。ママと子どもが集まる場所に行っても、なかなか話しかけてもらえない。運よく話しかけてもらっても、その場限りで終わってしまう。私は全く同じ話を、アメリカの主夫が集まる会議で聞きました。


この問題に対して、著者が、寂しいけれどある程度、仕方がないという姿勢を取るところが、新鮮でした。私などは、こういう場面を見聞きすると「男女の役割分担の境界線」を云々してしまいますが、著者は違います。いちばん大事なのは自分と子どもの楽しい日常。ママ友とはそこそこのおつきあいができればいい。敬語を保ち、相手の夫が見てもヘンに思われないような友人関係で…と記します。


育児の世界で男が差別されている!というネガティブな事象に拘泥することなく、どうしたら、赤ちゃんも自分も快適に過ごせるか考える。ポジティブかつプラクティカルな姿勢が勉強になります。


裏返して考えると、働く女性が男社会に馴染めない実情についてもあまりネガティブに考えすぎず、目の前の仕事を楽しく丁寧にエネルギッシュに進めていくべきなのかなあ…などと、どこまでも理屈っぽく考えてしまう私です。

キャリアへの迷いのなさ

2年間という長期間の育児休業を取得した際の著者の態度からも、学ぶべきところが大きいです。最初のうちは上司に止められたそうです。親ごころから「キャリアの中断」を心配する上司と何度も面談をして、最後には規定で最も長い2年間の育休を認めさせるくだりが印象的です。「制度はあるけれど取れる雰囲気がない」といった話をよく聞く男性の育児休業。著者くらい意思がはっきりしていると、雰囲気なんて関係ないのだなと思います。


退職を決意した時の迷いのなさにも目を見張りました。最初のうちこそ、自由な単身赴任生活を楽しもうと思っていた著者も、子どもと離れる時間が長くなるにつれ、寂しさが募っていきます。この人は本当に本当に子どもが好きなんだなということが伝わってきます。

女性なら珍しくない選択が男性にも開かれてきた

ところで、著者のような選択は、女性ならばさほど珍しくありません。子どもとの時間を確保したいから育児休業を目いっぱい取るとか、家族一緒に暮らしたいから夫の転勤に伴い離職するという女性はたくさんいます。


仕事より家庭。キャリアより子ども。こういう選択は女性だけでなく男性にも開かれているということ。この本が教えてくれるのは、そういうことです。結局、仕事と家庭どちらに重きを置くかは個人差なのであり、性差ではないことを身を持って示し「男性も女性もどっちを選んでもいいんだよ」と教えてくれる。そういう自由な雰囲気がこの本からは感じられます。


私は、本当に男女が自由に生きられる社会というのは、女性が働き続ける自由だけでなく、男性が仕事以外の選択をする自由も確保されていて初めて実現されると思っています。日本の現状では、女性の就労支援が先決になっていますが、男性の非就労選択支援と同時に進めて欲しいものです。

男性はフリーで働いていても「主夫」を名乗る

さて、本書には「主夫」とありますが、著者は無職ではありません。フリーランスで翻訳やライターの仕事をしています。興味深いのは、男性の場合、フリーランスで仕事をしていても「主夫」と自称するケースが多いことです。これはアメリカでも同様でした。


一方、女性の場合、同じような就労状況だったら自分のことを「主婦です」とは名乗らない気がするので、この辺りの男女認識ギャップが生まれるメカニズムは興味深いです。

女性はただ思い切り働ければよいというものではない

最後に、私がこの本を素晴らしいと思った一番の理由は、著者が長い育児休業を取ったからとか、男性なのに仕事より家庭を優先したから…ではありません。仕事と育児と夫婦のあり方、そういうものへの理解が細部にわたっているからです。

育児休業を取得している間、著者一家は妻の職場の近くに住んでいました。高い家賃を払って職住近接にしたのは、授乳のためだったといいます。著者は毎日2回、赤ちゃんを連れて授乳のため、妻の職場に行きました。ここまで色んなことを「分かっている」著者ですから、単純な母乳礼賛が理由ではありません。ミルクでも冷凍母乳でもいいと分かっていながら、授乳タイムをもうけたのは、妻と子どもの時間を確保するためだったといいます。


夫が家事育児を担うことでキャリアに打ち込める女性が、では、果たして何も失っていないかというと「そんなことはないと思う」と著者は書きます。仕事を続け家族を養うため稼ぐ責任を引き受ける母親が、代わりにあきらめるのは子どもとの時間である、と。


私たち一家も、授乳の都合を考えて私の職場へのアクセスの良い場所に住んでいるので、この下りは非常に納得しました。男女平等なモノの見方、行動様式を当たり前のこととして受け止め、実践しているからこそ分かるのだと思う。女性は思い切り働ければハッピーといった単純な発想(日本の現状ではそれを実現することすら難しいですが)の、十歩先を行く、著者の優しく自然な発想にとても共感しました。